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愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

何故朝食は執拗に重視されるようになったか

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http://gigazine.net/news/20160521-how-breakfast-became-thing/

に、とても興味深い記事が書いてあった。

 

「朝食をきちんと食べなさい」ということは、日本で暮らしていると何度も教育される。子供でも大人でも、飽きるほど厳しく聞かされる。

 

 

こんなに口うるさく主張されるようになった、経緯や根拠は何なのだろうか。

上記の記事で述べられていたもの以外に、自分が考える理由がもう一つある。

 

悪意による仮説ではあるが、今回の記事でそれを書いてみる。

 

 

1.すでに論じられていること

上記の記事で述べられているように、「朝食」という生活スタイルに、歴史的・文化的といった面での根拠は、やはり無い

そもそも、食事回数自体が、時代や民族によってばらばらである。

日本だって、つい何百年か前までは一日二食だった。

油を使った照明の普及で、夜になっても活動をするようになったため、一日二食の文化から一日三食の文化が生まれた。

 

また、「ちゃんとした朝食を食べると健康になる」という医学的な根拠については、ある程度はある。その範囲はさまざまであるが、確かに統計データはある。個人的な体感としても、きっと健康にはなっているのだと思う。

 

しかし、それで必然性が証明されたということにはならない。

いったいどのレベルをもって「健康」とするかという議論以前に、「ちゃんとした朝食」というくくりがそもそもあいまいすぎるからだ。

 

 

2.特定企業による広報ビジネス

朝食の重要性が大きく取り上げられるようになったのは、1944年に行われたシリアルを販売する会社のキャンペーンが始まり。「Eat a Good Breakfast—Do a Better Job(いい仕事をするには良い朝食をとろう)」と名付けられたキャンペーンでは、ラジオで「栄養学の専門家は1日の食事のうち最も朝食が大切だと語っています」と広告を流すとともに、朝食の重要性をうたうプロモーションのためのパンフレットが食料品店に配られました。

 こういった、アメリカにおけるシリアルの歴史が書いてあるように、「朝食は重要である」という呪文は、元々は一企業のプロモーションでしかなかった。

朝食という生活スタイルは、特に裏付けがない状態から、口だけが先行した営業行為であった。

 

おそらく、当時のアメリカことを考えてみると、最初は人を騙すようなステマではなかったのだろう。ただそれが、結果的に家庭環境や生活リズムに一致して、ビジネス的に成功したというだけの話であって、今になって責められるようなものではないだろう。

 

 

3.「朝食制度」を加速させたもの

日本においては、朝食の重要さは何度も教育される。

しかし自分が思うに、この原動力は、食品会社や外食産業の営利とは別のところにあったのだと思う。少なくとも日本においては。

 

深くかかわっていたのは、学校教育であると考える。

労働者を育成するための教育機関において、求められる教育カリキュラムの一種だったと考える。

 

最初に日本に学校ができて、義務教育が始まったのは、明治時代である。

一定品質の卒業生が量産され、工場や企業といった組織に労働力を供給するようになった。

こういう場で、労働者に効率よくエネルギーを供給するために考えられた手法が、「不自然なまでの朝食奨励」であったのだと思う。

 

 

4.教育をする側・雇用をする側の悪意

義務教育システムが出来上がった明治の当時は、日本は一日三食だった。

 朝食と昼食と夕食。

このうち昼食は、学校や雇用の側が、リソースを割いて時間を提供しているものである。

 

学校や雇用をする側からすれば、太陽が出ていて活動がしやすい時間は、なるべく拘束して、勉強や労働を行わせたい。

しかし、人間が一度に蓄えれるエネルギーが、せいぜい6時間分しかなかったため、どうやっても一日最低一度は、せっかくの教育・労働の時間を中断しないといけない。

そこで仕方無しに、お昼の時間を都合して、45分間の休憩や給食を与えることになった。

 

だから、いかに食事が栄養的・エネルギー的に必須であったとしても、「昼食を大事にしましょう!」とは、雇用者側からすれば口が裂けても言えない

昼休みの時間を延ばす羽目になって、給食の量を増やす羽目になって、自分たちが損をするからだ。

 

給食が出る学校においては、「朝食は大事です」と同じぐらい、「給食は大事です」と教育される。これはつまりそういう事情があることで、昼食は大事です」とは決して言わない。

むしろ逆に、「昼食は軽くぱぱっと済ませる」ということが良しとされている。

 

もちろん学校給食というシステムは、戦後に栄養士が管理するようになってからは、十分に安全で栄養が摂れるものになっている。

しかし自分は、そういった努力の以前には、このような雇用側の悪意が隠れていたと考える。

 

 

以上により、「昼食」はなるべく削りたい、推進しない、という方針が仮定できる。

そこで次は夕食について考えるが、夕食も、推進はしにくい習慣である。

 

なぜなら、夕食や、夕食を食べる時間は、学校や雇用の側にとってはすでに終わった時間であるから。

学校や企業など、教育をしたり労働をさせたりする側としては、長い時間拘束できる方がもちろんいい。しかし、日照時間や疲労の問題があるため、24時間働かせっぱなしということはできない。

だから、一日が終わって17時になったら、労働者を一旦家に帰すような制度を作った。

 

 17時に労働者を開放してから、翌日の8時に集合するまでに、時間的にも生活リズム的にも、大きな隔たりがある。この間は、労働者は指揮下から外れて、ある意味雇用側も解放される。

労働者に課すことはただ一つ、「翌日も08:00に集合しろ!」ということだけである。

雇用側にとっては、それ以外のことは何一つ知ったことではない。

 

夕食の内容に口を出すのは意味がない。

というか、労働者側がそれでいいというなら、別に夕食なんて抜いても構わない。

翌日8時に、使える状態で集合さえしてくれれば。

 

そして雇用者側も気付いている。労働者の自由な時間に、仮に口を出しても、効果がないということに。「自分が知ったことではない時間帯」の話なのだから、当人たちに任せた方がいい結果になる、ということは想像がついていた。

 

 

5.最後に残った「朝食」

以上に述べたように、雇用側として重要なことは、「翌日8時に使える状態で集合すること」ただ一つのみである。

 しかし、食事をとらなくては絶対的にエネルギーが不足する、という事実はすぐにわかる。

 

昼食は、雇用側がリソースを割かなくてはいけないため、なるべく無しにしたい。

理想としては、朝食と夕食だけでエネルギーをまかなって、自分たちが見ていないところで勝手に万全になってくれる、という形式が、雇用側にとっては理想的だ。

 

元をたどれば日照時間の関係であるが、食事などに使える自由時間は、朝より夜のほうが長い。なので、人間は放っておくと、基本的に朝より夜のほうが、重い食事をとる。それに、夕食をとる時間には、睡眠もとってもらわないといけない。

 

だから、おろそかにされる傾向にあるのは、時間がない朝食の方である。

その段階になって、「朝食を食べろ!」ということが強調されるようになった。

 

また、ちゃんと朝食を食べる時間があるということは、「8時に遅刻しないようになる」という、雇用者側にとってとてもオイシイ副次効果がある。

 

そういった理由で、学校や企業においては、「朝食をきちんと摂れ」というキャンペーンをすることが採用された。

 

 

以上が、朝食を食べない人間が欠陥品扱いされるようになった経緯であると考える。

 

悪いことばかりを書いているけど、国民全員を学校に入れて、それをまとめて社会で働かせなければならないとなれば、こういった手段も必要になるのだろう。

 

人が人を管理するのに必要な手法だった。自分はそう結論付けている。

 

 

6.朝食を食べないことを選んだ人たちへ

「朝食をきちんと食べなさい」ということは、子供の頃から飽きるほど厳しく聞かされる。

 

朝食という生活スタイルは、「元々は一企業のプロモーション」「便利な労働者を作るための方便」という点を踏まえたうえで、採用するかしないかを選べばいい。

 

他人から押しつけられても、無理に従う必要はないし、他人に対して無意味に強要するのは間違っている。

 

 朝食を食べない人だってたくさんいるだろう。

自分でそのスタイルを吟味して選んだ人は、そのまま自分の判断を信じればいい。

自分の肉体に関する判断は、少なくとも企業の一方的なキャンペーンよりは信用できる。

 

朝食を食べたいが余裕がない、という人は、今の生活を誇っていればいい。

朝食を食べなかった分だけできた余裕で、ほかのものを手に入れているだろうから。