愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

断捨離を批判する際に言ってはいけないこと

断捨離という考え方は、2010年頃から流行りだしたが、6年たった今でも風化することなく、むしろ手法として定着してきているような感がある。

 

 だから、安定したペースで事故が起こり続けている。

  •  旦那の趣味のものを妻が勝手に捨ててしまうこと。
  • タブレット以外に何も置かない部屋で子供を育ててしまうこと。
  • 「断捨離しなきゃ」と勝手に思い悩んで精神をすり減らすこと。

 「断捨離」などというワードが流行ったおかげで、夫も、妻も、子供も不幸になっている。

 

しかし自分が思うに、「ものを片付けて整理すること」は、昔から誰もが普通にやってきたはずの行為である。

 

不幸な事故で苦しむ人がいなくなるように、「断捨離」というワードに囚われないで、ものを片付ける心理やその対処法について考えてみた。

 

 

 1.なぜ捨てるのか?

分かりやすい例があった。

「断捨離のために旦那のコレクションを勝手に捨てると、ヤバいことになる」というお話に震撼するTL - Togetterまとめ

 

鉄道模型ガンプラなど、初期の例からずっと言われていることとしては、「人のものを勝手に捨てるなんて頭湧いているのか」という点に集中する。

 

「断捨離」もともとはヨーガにおける、執着を捨てるための精神修行の一環だったらしい。しかし、そんな崇高な目的以前に、あからさまな理由がある。

  • 場所を広くしたいから。
  • 何もないスペースが欲しいから。

 

断捨離とか以前に、(一部のキチガイを除けば)普通に掃除のために捨てているはずなんだ。

掃除を自分でやる人ならすぐにわかるが、捨てるという行為は、現状を打開して掃除を一気に進める、非常に有効な手である。捨てればスペースが確保できるし、考えることが一気に減らせる。

 

「何もないスペース」というものは、非常に価値がある存在だ。

例えば、「今より二部屋余分に広い家」引っ越してみよう。確実にそれが一発で理解できる。

断捨離を勝手にやってしまう人も、判断能力自体はまだ動いているように思う。

流行語に流される女の暴走、と語られることも多いが、それは違う。やらなければいけないことが目の前にあり、そのために一番有効な手段だったから実行したというだけのことだ。

 

他人や家族の持ち物を、勝手に使ったり壊したりして平気な人というのは、もともとそんなにはいなかったはずだ。

本当に衝動的に捨てたとか、そういった救いようのないケースもあるにはある。

しかし、これから話し合いで解決しようと思うなら、基本的に相手に事は信じたほうがいい。

 

 

 2.断捨離を批判する際に言ってはいけないこと

勝手な断捨離をする妻に対しては、「妻の宝石や洋服も捨ててやれ」という提案がよくなされる。こういった、同じことをしてやれば目を覚ます・学習するといった手法がよく叫ばれる。

 

確かに、報復だけを目的にするのならばそれで正しい。

しかし少なくとも、その行為によって関係が元通りになることはありえない。

悪意でやったのと善意でやったのでは、どう考えても内容が違うからだ。

先述したように、掃除のためにやっちゃったケースも、キチガイであったケースも、どちらも少なくとも悪意では物を捨てていない。

例えば自分の立場に立って考えてみよう。

自分が何かミスをしてしまったときに、同じ方法でそのままミスをやり返されたら、学習はできても一生恨み続けることになる。

 

そして、もう一つ使ってはならない手段がある。

「こんなガラクタでも~円の価値があるのに」という主張だけはしてはいけない

 

この主張をすることはすなわち、高くないものなら捨てていい、という論理を許すことになる。しがみついているものが金銭だけだ、という風に理解をされてしまうことになる。

そうなったら、同じだけの現金や整理整頓を支払えば、ものは捨てていい、という解釈を許してしまうことになる。

 

個人が集めているものなんて、金銭的な価値はないものが多い

プレミア品とか非売品などでも、確かに当時の価格に比べればすごい価値がついているのだろうが、結局のところはせいぜい数万円でカタがついてしまうケースが大半だ。

ネット全盛であるこの時代、取引先が見つけやすくなったことにより、お宝の価格というものはここ10年20年でずっと下がっている。プレミアの絶版本でも、オークションを見張れば1000円や2000円で買えてしまったりする。

 

 

 3.そもそもなぜ他人に掃除をさせているのか?

考古学者の嫁が断捨離を決行→超貴重な文化財も処分して嫁が高額の賠償金を払わされた話 - Togetterまとめ

これはその筋では有名な考古学者の例だが、この例は厳密に考えれば結構怪しい点がある。

 

断捨離が正解だったか有罪だったかについては、その場の状況が一番の判断基準だ

どれぐらいものがあるのか、どれぐらい散らかっているのか、どれぐらい家事をやっているのか。そして、どれぐらい話し合っているのか。

このステータスによって、その断捨離が正しかったが否かが判別される。

にもかかわらず、その場の状況については、なぜかあまり言及されない。

 

個人的には、一番大事な要素は、掃除の担当範囲であると思う。

自分のスペースにものが置いてあって、自分が掃除するところならば、勝手に物を捨ててはいけない。掃除を任せてあって、共有スペースに物がおいてあるなら、断捨離は基本的に許されると思う。

というより、自分のスペースの掃除って普通自分でやるものではないか?

この記事の最初の方で書いた通り、物を選んで捨てるということが、掃除においては一番有効な手段になる。

 

確かに、「人の所有物を無断で処分してもいいと思っている人」は明らかに狂っていると言える。だから、掃除の範囲だけはしっかりと決めておかなければだめだと思うんだ。

もちろん、話し合ってお互いの人格を維持するのが第一だと思うが、それ以前に掃除のルールを共有しておくべきだと思うんだ。