【ロマン以外】科学を追求しなければいけない本当の理由
何日か前の話だが、理化学研究所において新たな元素が発見され、ニホニウムという名前が付けられた。
このこと自体は素晴らしい功績である。
しかし多くの人にとっては、こういったニュースに対しての反応は、おおむね以下のようなものだ。
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「寿命が三秒しかないとかwww」
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「何に使うんだよwww」
まあもちろんバカにするだけではなくて、「~年もかかって発見したのはすごいね!」「日本の誇りだね!」という論調をオマケでつけて、それで片づけられる。
自分が思うに、それこそがバカにされていると思うんだ。
断言するが、科学は、決してロマンが目的でやっているのではない。
ちゃんと意味が合ってやっているということを、書いてみる。
たとえ話を用いてなるべく簡単に解説してみる。
目次:
1.序
今回のニュースを検索して、適当に上の方に出てきたものをピックアップしてみた。
これは一例だが、つまり一般的な理解である。
会社の上司、学校の先生、タクシーの運転手。どの人たちも、ニホニウムの話を振れば、大体似たような反応が返ってくるはずだ。
我々一般人にはまったくなんのことやらわかりませんね。
自分は、この言葉だったら言える。
確かにわからんものは分からんし、調べるのにも勉強するのにも時間はかかる。
それ自体は確かに動かない真実だ。むしろ、分からないものにはわからないと堂々と言っていいと思う。
科学の進歩はありがたいですが、人類や地球にとってメリットのある発見をお願いしたいものですね。
この発言がダメだ。ダメダメだ。自分だったらこんな恥ずかしいことは口が裂けても言えない。
「科学の進歩」という言葉の意味を、もう少し真面目に考えてみよう。
2.科学の目的=「金」であるか?
科学をやっていて、よく聞かれることは「~なんてやって何の役に立つのか?」ということだ。
そうやって聞かれた場合、質問者の頭の中にあることは、8割方が「儲からないのに馬鹿じゃねーの」という蔑みだ。
事実を述べれば、科学はすぐには金にならない。とくに今回のような基礎実験は。
そもそも、基本的に科学の研究というものは、最終的に考えても金にならなそうなことの方が多い。
だから、学問=道楽というレッテル張りが、紀元前から存在している。
そして現代になっても、未だにこれを信じている人がずいぶんいる。
科学はすぐには金にならない。この前提を覆すために、ロマンという言葉を持ち出す人がいるが、それは危険な発想だ。
科学は、決してロマンが目的でやっているのではない。
ちょっと考えてみればわかる、明らかにやらなくてはいけない理由がある。
結論を先に言ってしまうと、理由は以下の二つだ。
- 一度気付いてしまった部分は「未開拓」であり、追求する余地が残っているから。
- その未開拓の部分に、何か重要なものが眠っている可能性がゼロではないから。
3.科学の研究を、「採掘」に例えてみる。
確かに科学の追及という行為は、「成功して栄光をゲットできるか否か」という一面だけを考えれば、鉱山を掘って金脈を見つける行為に近い。
端的に言って、勝率の低いギャンブルであると言える。それ自体は間違いない。
ゴールドラッシュに惹かれた若者たちが、一攫千金を夢見て人生を賭ける。
科学の研究とは、そのような行為に例えることができる。
ここで重要なのは、命知らずの人間がいる限りは、あるいはそれに金を出すバカなスポンサーがいる限りは、ゴールドラッシュは終わることはないということだ。
現状は、科学に人生を捧げる命知らずも、それに金を出す大学や企業も、どちらも沢山存在している。例えば日本の科学研究費は、少しデータが古いが15兆円ぐらいは使われている。
科学の研究は、「勝率の低いギャンブル」であるにも関わらず、こんなに金が使われている。本当にこれだけの金が、ただのロマンで動いているように思えるだろうか?
3-1.「採掘」の中止と再開
スポンサーがいる限りは科学は止まることはない。しかし逆に言えば、もし仮にスポンサーが全部撤退してしまった場合は、その時は確かにゴールドラッシュはストップする。
実際には、例えば世界中のすべての大学が廃止されて、すべての企業と政府が「金は一切出しません」ということを決定したら、確かに科学の追及はストップするだろう。
しかし、それは科学の終了を意味するものではない。「科学の追及」というゴールドラッシュは、一時的に中止することはあっても、無くなって消えてしまうことは決してない。
なぜなら、「ここの部分はまだ掘れそうだぞ」ということを、気づいて記録してあるからだ。「未開拓」の部分が、まだ残っているからだ。
たとえスポンサーが全部撤退して、施設をすべて取り壊して、すべての作業員を解雇したとしても、「まだ掘れそうなところは残っていた」という事実だけは永遠に残り続ける。
それどころか、たとえ当時の作業員を全員殺害して、当時の地図を焼却したとしても、ゴールドラッシュは無くなりはしない。
掘れそうなところがそこに残っている以上は、将来別の誰かが改めて発見するだけだから。
3-2.科学の鉱山は、どこかでつながっている。
採算が合わないからといって一つの鉱山を廃止したとしても、世界にはほかの鉱山もあり、そっちのほうではまだ採掘が続いている。
「科学の追及」という鉱山は、何も一つの山ではなく、地球上にあるあらゆる鉱山で、つながっている。
今回のケースでいえば、ニホニウムという新しい元素を生成することは、物理学だけでなく化学や薬学に応用できるかもしれないし、元素を生成する技術が工学の役立つかもしれない。
それぞれ鉱山はどこかでつながっているため、一つの鉱山だけを廃止したとしても、「未開拓な部分が残っている」ということに気付いている以上、それを無しにすることはできはしない。
つまり、別の鉱山で採掘していて、何か行き詰った時には、こう考えてしまう。
「あの時閉鎖した別の鉱山に、何か重要なものが埋まっているんじゃないか?」と。
そう考えてしまうと、閉鎖した鉱山でもまた掘りにいかなければいけなくなる。
すなわち、掘れるところが残っている以上、いかに鉱山を閉鎖しても無駄なわけだ。
4.科学を追求しなければいけない理由
現在使っている科学の正当性は、「前に進み続けること」によって担保されている。思いつく限りのことを全部やっている、という前提がないと、あらゆる科学が根元から崩壊していく。
今回のニホニウムの例で行くと、
・陽子と中性子の数で元素が決まるなら、112番目以降の元素ももあっていいだろう。
↓
・113番目の元素と同じ数の元素をぶつけたらもしかして作れるのではないか?
誰かが、そう気づいてしまったのだ。
そこまで気づいてしまったら、
・じゃあ思いつく限り種類と条件で実行してみるとどうなるのか?
ということも、すぐに思いついてしまう。
この場合の例で行くと、鉱山を閉鎖して採掘をやめるということは、「全種類の元素をぶつけたらできるかもしれないけど、面倒だからやりません」ということを意味する。
「気付いてるけど面倒だからやりません」。
もしそれを一つでも通してしまったら、その瞬間にどんな科学も嘘っぱちになる。
科学の追及を辞めたとき、その理由が「スポンサーがいなくなったから仕方なく」だったら、また再開される余地がある。「気付いているけど面倒だからやめた」のだとしたら、それはそこの鉱山においては二度と再開されなくてもいいことになってしまう。
科学においては、「気付いてるけど面倒だからやりません」は、一つでも通してはならない。
科学の鉱山はどこかでつながっているため、鉱山を一か所でも理由なく閉鎖してしまったのなら、ほかの鉱山も理由なく閉鎖できることになってしまうから。
そうして理由なく鉱山を閉鎖してしまうと、ほかの鉱山における「代替不能の鍵」を捨ててしまう可能性があるから。
そして、もし一つでも鍵を捨ててしまった場合、連鎖的にほかの鍵も入手不能になる可能性があるから。
だから、「科学の追及」という行為においては、
・できる以上は必ずやる。
・金が無くてできないなら、今やらなくても後で必ずやる。
そういうルールにしないと、何も動かない。
一言でいえば、「人間が考えなくていいところ」など、存在しない。
5.科学を追求する気概
以上が、「科学を追求しなければいけない理由」である。
例え微妙で役に立ちそうにないことでも、どこかの鍵になる可能性がゼロでない以上、気付いたならば開拓をしなければいけない。
科学とは、
・現在開拓できている部分は~である
・未開拓な部分は~である
それを、読める形でまとめた資料のことを指す。
やはり、ロマンなんかではない。
科学者からすれば、「この科学に本当に意味はあるのか?」なんてことは、当人はとっくに考えがついたうえで、追求をしている。
こうやってちゃんとした理由があるのに、ロマンだけで片づけるのは嘘である。
そして、科学には嘘は一つも含ませてはいけない。
それぐらいの気概と誇りは、科学をやっているものなら全員が持っている、はずである…
clacff.hatenablog.comこの記事のように、本気でロマンが全てだと思ってしまっている科学者も、いるにはいる。