選挙権が18歳に引き下げられる意味
2016年7月10日に行われる、第26回参議院選挙において、選挙権が18歳に引き下げられることとなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160619-00000004-asahi-pol
選挙権を持つ人間が広がったことは、良い結果を導き出せる可能性が上がったことになる。国際的にも、選挙権は18歳からが主流であるし、このルール変更自体には、自分は賛成だ。
しかし、現代に日本の政治において、18歳が選挙に行くようになれば、こういうことを第一に学ぶことになると思う。
「やっても無駄じゃんなんだこれ」って。
今日はそのことについて、自分の考えを書いてみようと思う。
目次:
1.現在の選挙のシステムについて
現在行われている選挙は、システム的な参加のしやすさについては、すでに十分に配慮がなされている。
選挙の日時は飽きるほど告知しているし、実際の作業も非常に簡便だ。
葉書を持って投票所に行って、名前を鉛筆で書くだけ。以上。
期日前投票も、以前に比べてずっと簡単になっている。
選挙のことがちゃんとわかるように、こんなビデオすら配られていた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1001/20/news083.html
こんなレベルにまで落として解説しているんだ。
これ以上どうやって簡単にしろと言うんだ。
参加は簡単だ。死ぬほど簡単だ。
しかし、すでに誰もが感じている通り、選挙に参加する意味自体が、もはや弱い。
候補者のマニフェストは、分かりにくいというより、無意味である。
なぜならば、誰もかれも、具体的でなく耳障りのいいことしか言っていないから。
- 経済問題を頑張る
- 税金の無駄遣いをやめる
- 地球環境に配慮する
- 隣国と仲良くする
等々。
こんなものは、いいか悪いかで言ったら、当然やった方がいいに決まっている。何も判断するまでもなく。
これ以上の具体案を出してくれないと、議論のしようがないのだ。
そして候補者達は、知られたら困る情報はもちろん隠している。
どの企業から献金を受けているか、誰の命令で動いているか、誰のためにどういう政策を作ろうとしているか。私生活や個人の意思も、分かったものではない。
全員が悪いことをしているのなら、議論なんか無視して、ステルス戦法に走った方が当然勝率は高い。政治家も少なくない金と人生を投資している以上、勝つために動くのは当然だ。
だから、みんな同じようなマニュフェストしか用意しない。
そして過去の歴史が証明しているように、そうやって並べたマニフェストは、実は破ったところでどうということはない。
どんなに嘘を実行しようと、その一期だけならば与党でいられる。
もちろん次の選挙の時には不利になるかもしれないが、そのときはまたステルス合戦が始まるだけであって、正直者が勝つという未来だけはありえない。
それに、議員一匹が別の人間になったぐらいで、何の意味があるのだろうか。
冷静に考えれば、そこのところがそもそも意義が薄い。どうせ考えは政党で共通されているし、採決は最終的には多数決だ。採決の時にここぞというタイミングで、有権者が見込んだ正しい意志が発揮されて、その結果出来上がる法律が変わる、なんてことが、現実にあり得るのだろうか。
以上のことは、今まで選挙に行ってきた人間ならば、誰しもがわかっていることだ。
投票はできるけど、やったところで特にどうなるわけでもないって。
結局は自分の手が届かないところで、大きな不思議な力によって、政治は決まってしまうって。
2.大人に対する失望
従来20歳以上が行っていた、この国の普通選挙とは、以上のようなものだ。
今18歳である若者たちは、すでに似たような話、身近に見たことがある。
同じような出来事を、すでに経験している。
学校で行われる、生徒会選挙だ。
あれが茶番ではないと思っている生徒なんてなかなかいないぞ。
糸を引いているのは結局職員室であり、実務能力は完全に無視されている。
先生に気に入られた極一部の学生による、就職や進学の名声作りでしかない。
そして、生徒会の活動によって自分の学生生活が変わるわけではないことも、とっくに知っている。
ただ、人気者がもてはやされたり、死んで行ったりするのを眺める。
その程度の価値のイベントでしかないことを、とっくに知っている。
実際の国会選挙と同じような出来事が、すでに学校で起こっている。
結局は自分の手が届かないところで、大きな不思議な力によって、政治は決まってしまうということを、すでに深いレベルで教育されてしまっている。
それとも、教師たちが選挙の現実を詳しく教えてくれるとでもいうのだろうか。
何が正義でどこを支持するのか、その判断に必要な材料を揃えて考えさせてくれるのだろうか。
それには期待したいところだけど、教師の4割ぐらいが、「まあ行っても仕方ないよね…」と言ってないか?
いや、むしろこう教えてくれる教師はいい教師なのかもしれない。残りの6割の教師は、「国民の義務だから絶対行け!!」とゴリ押すことしかしないから。
子供たちは、いったい何を信じろと言うのか。
3.すでに見透かされている、「18歳選挙」
「生徒会の選挙は茶番であるが、国政選挙も同様に茶番である」。
選挙権が18歳になったからといって、この現実を2年早く学ぶ以上の意味はないと思う。
有権者の割合が少し変わったぐらいで、現在の高齢者が増え続ける社会に当たっては、政局には何の影響も及ぼさないだろう。
そして、そういう打算が既にできていたからこそ、導入されたルールなのだろう。
総務省のURLには「将来を担う若者の意見も聞きたいから下げた」と書いてはあるが、「たったの2%で何が変わるの?」という根本的すぎる問題を、意図的に無視している。
本当に「将来を担う若者の意見も聞きたいから」と言うのならば、高齢化がこんなに進む前に、もっと早くに下げててよかったはずだ。
・千里の道も一歩から!
・ちりも積もれば大和撫子
(※恋愛サーキュレーション(化物語)より)
確かに、あらゆる権利はそうやって勝ち取られてきたのだろう。
最初の権利は小さいものである、ということだけならまだわかるが、最終的に勝ち目がある場合にのみ、その手のセリフを吐くことが許される。
正しい情報が開示されていない上に、人口比で負けている。
つまり選挙とは、そもそも能動的なゲームではない。
選挙によって日本を変えるのは、「無理ゲー」である。
当たりが入っていないどころか、自分で回すことすらできないガチャに等しい。
ある意味、今の若い世代の方がそういう理解が早いんじゃないのかな。
こんなクソゲーのために、日曜日の午前中を潰すのは、どれだけアホらしいことなんだろう。
その現実を、今の18歳は二年早く学ぶことになる。
4.それでも選挙は進んでいく
それでも確かに、国民の手による普通選挙は、貴重で尊いルールである。
参政権を平等に薄めてしまうと、一人の影響力は一億分の一になってしまう。これはどうしようもない仕様である。
フランス革命以前の社会においては、普通選挙は、あこがれの最強ルールであったはずだ。搾取されている多数の労働者が、ごく一部の金持ちを倒すことができる。数が多くて苦労している人間が報われる、唯一絶対の剣であったはずだ。
現在では、その多数の側が老人であった。
そういった内容で、社会は何の問題もなく運用されている。