愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

電通にはサビ残させる権利がある、という暴論

 

電通の社員が、ブラック労働をさせられて自殺に追い込まれたらしい。

togetter.com

 

今回の事件のように、企業が人を踏みつけるような事例において、自分がいつも思うことがある。

  • 金や権力が十分にあれば、悪いことをしても逃げ切れるのではないか?
  • 正義とか真実とか、元々大して必要とされていなかったのではないか?

 

自分が小学生のころに「罰金を払えるなら犯罪をやってもいいのか?」ということを、学校の先生に尋ねてみたけど、納得のいく答えはまだもらっていない。

 

国民や生徒に対する教育では、もちろん「罰金払えるとしてもやるな」というのが答えだろう。

人間の性善説に期待しているところもあるのだろうし、逆に相応に罰金を高くした場合だと別の問題が出てくるのであろう。

 

これは、法律と刑罰が不十分である点だと言える。

今回も、この弱点を突いた事件が起きてしまったので、そのことを詳しく書いてみようと思う。

 

 

 目次:

 

 

 

1.電通の側から見た、今回の事件

電通の側から見た場合、今回の事件には、電通が「自分の財布の中で買い物をしただけ」だと言えるのではないのだろうか。

 

今回の事件が発覚したことで、電通ブラック企業だと世間に知れたが、それでも電通に就職して働きたい人と思う人間はたくさんいる。

電通はそれだけ名声、すなわち「財布の中身」を持っている。

今回の事件は、その「財布の中身」を消費して、長時間の労働力を買っただけの話ではないか?

 

もしこのブラック環境に適応できる逸材が出てきたら、とてもラッキーだ。

そういうガチャを、金払って引いたのだろう。

確かに、今回この買い物をしたことで、電通の財布の中身は減ったのだと思う。

しかし、それでも電通で働きたいという人はたくさんいる。

つまり、財布の中身はまだまだたくさん残っているということだ。

 

いつかワタミが、別の事件で被害者の遺族にこう言っていた。

「一億欲しいのか」って。

奴らにとっては、これがガチャ一回の値段だったわけだ。

 

1億円なら正直安いよね。

美人の東大生を馬鹿にして自殺させるまで働かせることが出来るんだから。

今回は不幸にも訴訟沙汰になったが、罰金はそれでも1億円よりは安いだろう。せいぜい2000万円じゃない?電通社員の給料なら1~2年分程度だ。

名声にもダメージはあるが、もともと電通がブラックなんてことはみんなとっくに知っている。

死者だって何度も出しているし、ある意味痛くもかゆくもない。

電通で働きたい人はそれでも毎年腐るほど来る。

と、奴らはそう考えている。

 

 

2.なぜ電通に就職したい人はいなくならないのか

電通ブラック企業だということは、大学生ならばとっくにみんな知っている。

わざわざニュースにされるまでもなく。電通だって別に隠してなんかいないだろう。

 

しかし、いざ就職活動が始まってしまうと、大学生は皆大企業に就職することを目標として動くようになる。

電通に限らず、ブラックな企業や業界であっても、大手ならばとりあえず目標に入ってしまう。

一応内心では嫌だと思ってはいるが、就職活動のコマが減ってくると、「電通でもいいや」と考えちゃうような学生がたくさんいる。

 

自分も経験があるから分かるが、就職活動をする大学生は、残りのコマがブラック企業だけになってしまうと、「ブラックらしいけど俺ならきっと生き延びれるぜ!」ということに期待するようになる。

 

ブラック企業だからと言って受けないまま就職活動を終了してしまうと、もっとひどい未来が待っているような気がする。ブラックな電通でも生き延びれればワンチャンあるし、むしろ適応できれば年収2000万円。ワンチャンだけじゃなくて夢もある。

 

そうやって、未来の期待値を考えた結果、冷静に真面目に、電通に挑戦してしまう。

大学生は、金も経験も持っていないが、代わりに若さと未来はとても多く持っている。

「ブラックな職場に就職して適応できるか?」というゲームは、大学生にとっては最も得意であり、勝ち目があるゲームであるんだ。

 

就職活動に失敗した大学生は、負けたら死ぬような危険なギャンブルを、やらざるをえなくなる。

現代社会でなされる様々な教育は、「大企業の正社員でないとまともな人生を送れない」ということを大学生に教え込み、大学生はそれを信じてしまう。*1

 

そして、もし電通に就職してブラック環境に適応できてしまえば、年収2000万だけでなく、圧倒的な名声を手に入れることが出来る。

大学生が本当に目指しているのは、この武器の獲得だ。

 

世の中には、電通の社員ならばそれだけでひれ伏してしまうような、心が弱い人がたくさんいる。

親兄弟・親戚・友達・教授・先輩・後輩。そして自分自身。

こいつら全員に対して絶対的に有利に立てる、強大なアイデンティティが手に入る。それは自分の人生を賭けてもいいと言えるほどの。

 

だからこそ、電通に就職したがる人間はいなくならない。

むしろ、ほかの中小ブラック企業に比べれば、ギャンブルの危険性が周知されているし、成功したときの報酬は大きいので、十分良心的だとすらいえるかもしれない。

 

 

3.本当に悪いのは誰なのか

曰く、電通と言う巨大な企業は、金と権力と名声を十分に持っていたため、社員一人が自殺したぐらいでは何のダメージもない。

むしろ長時間労働させれるリターンの方が大きいので、今日も明日も、電通はブラックであり続ける。

 

こんな暴挙が許されるかと言ったら、無論許されることではない。

 

正義や真実が、金や権力で作られるようになってしまうと何が起こるか?

答えは、「人が真実を求めないようになる」。

当人の寿命や、組織の都合の範囲だけでものを考えるようになり、それ以外では全員が嘘をつくようになる。

 

しかしそれは、おそらくいくらかは正しい生き方であるのだろう。

人が人として生きている姿である、と言えばそうだともいえるし、

現代の社会は実際にそのような原理で運営されている。

 

ブラック企業の行動にはある種の整合性がある。

悪いのはブラック企業じゃない。

悪いのはそれを取り締まれない法律の方だ。

 

 

 

*1:別にそれもいくらかは正しい事実なんだけど。