愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

【蹴鞠おじさん】知識量で人を裁くことの問題点

 

先日、「蹴鞠おじさん」の正体についての記事を書いた。

clacff.hatenablog.com

蹴鞠おじさんはメディアの分野に限らず、どの分野にでも現れる。あなたの職場にだって現れる。

この蹴鞠おじさんによって、あなたの仕事や人生が邪魔されるのは、なまじ権力を持っているだけに、非常に危険だ。

 

今日は、あなたの職場に現れた蹴鞠おじさんとの付き合い方と、倒すための突破口について、書いてみる。

 

 

 1.「おじさん身内スポーツ:蹴鞠」の理解

「蹴鞠おじさん」は、一撃でイメージが伝わるとてもわかりやすい例えであるが、先日ヨッピー氏の記事では、「古くて、伝統があって普通の人が理解してないもの」という説明がなされていた。

以下、自分が「蹴鞠」が持つ言葉のイメージをあらためて補足してみようと思う。

 

「蹴鞠」とは、歴史の教科書に出てくる平安時代の貴族がやっていた、あの遊びだ。

詳しくはWikiでも見てもらえばわかるが、別に競技の内容自体は割とどうでもいい。

 

貴族が、自分たちの考えた面白い遊びに夢中になっている。それがただの余暇として流行っているだけならば微笑ましいことだが、それに夢中になりすぎて本来の貴族の仕事が全然進んでいないことが問題だった。

飢饉が起きようと戦争が起きようと、自分たちは仕事をしないで蹴鞠に夢中になっている。

そして、貴族は金持ちで地位もあるので、そんな状態でも自分たちだけは安全なところで蹴鞠を楽しめるだけの余裕を持ってしまっていた

 

同じ貴族の遊びでも、将棋や鷹狩とかだったら、まだ戦争のトレーニングになるだけ役に立つだろう。しかし、蹴鞠は特に役に立つわけでもなく、ただ楽しいだけだ。

人と人をつなげるための道具としては蹴鞠にも価値があるのかもしれないが、残念ながら蹴鞠は身内の貴族だけで流行っているスポーツだった。*1

 

そしてあまりに全員の貴族が蹴鞠をやっているため、「蹴鞠をやってない奴は貴族失格」などという考えが生まれてしまった。またそれと同時に、「蹴鞠が上手いやつは政治も上手い」という間違った理解も生まれてしまった。

そんなのはただの勘違いなのに、貴族自身の手でそれが正当化されてしまった。

蹴鞠ができないと本当に仲間外れにされるし、蹴鞠が上手かったから偉い人の目に留まって超出世したこともある。

 

そうして貴族たちは、真面目に仕事をするよりも、真面目に蹴鞠をするようになった。実際にそうやったほうが出世できる期待値が大きい、という既成事実ができてしまった。

貴族が蹴鞠にうつつを抜かしている間に、民は飢えて国は戦争で燃えているが、それでも貴族は自分たちが与えてもらった庭で、蹴鞠の練習を続ける。

 

以上、蹴鞠というものに対する理解を述べた。史実とは多少相違する部分もあるが、蹴鞠にはこのようなイメージがあるからこそ、「蹴鞠おじさん」という言葉が生まれた。

 

そして、こんなバカな歴史が、今繰り返されている。

仕事をしない平安貴族のように、現代においては知識人や技術者が、正しい仕事をしなくなっている。

 

 

2.蹴鞠おじさんの弱点と罪

蹴鞠おじさんには、決定的な弱点がある。先ほど述べたような平安貴族の例で話をしてみよう。

 

蹴鞠おじさんは、貴族である。

貴族であるからには、武芸一般に通じていて、国の秩序を維持する役割がある。そういう能力を持った人間だからこそ、平民はそいつに国の政治を任せたはずだ。

 

だから平民として、「隣の山に現れた山賊を退治してくれませんか」と頼んでみよう。

 

果たして、蹴鞠ばかりやっていた貴族のおじさんに、その力はあるのだろうか。

蹴鞠おじさんができるのは蹴鞠だけだ。それだけに人生を費やしている。

 

おじさん「ワシは蹴鞠が上手いぞ」

へいみん「蹴鞠なんて上手くて何になるんですか?」

おじさん「バカモン!蹴鞠は貴族のたしなみなのじゃ。政治が分からない平民はこれだから。」

 自国の平民だったら、そうやって言いくるめることができる。

しかし、相手が武装した山賊の集団だったらどうなるだろうか。

おじさんはこう言うわけだ。

 おじさん「ワシ、蹴鞠が上手いんだぞ!ほら、上手いだろう?」

さんぞく「…」

こうなってしまうことが、おじさん本人もよくわかっている。

だから、危ないところからはガン逃げする。

威張るのは、あくまでも安全な自国の平民に対してだけだ。山賊退治をやる場合は、自分は出向かず専門の軍隊だけに任せる。あるいは、山賊に金を握らせて去ってもらう。

自分に山賊を倒すだけの武力がないということが本人にもよくわかっているから、金か人脈に頼る。そのために金や人脈をため込むように、日々努力している。

先日の記事での例でいえば、マクルーハンは「蹴鞠」であり、自分がそれをよく読んでいいて得意だから、武器として使っている。

 

この昔話からもわかるように、こういった「蹴鞠おじさん」の弱点は、武力である。

メディアの偉い人であっても、政治・経済・地理・軍事・国際社会・科学・芸能の全部に本当に威張れるほど詳しいのか?と詰められてしまうと、途端に弱気になる。

おじさんは追いつめられると、「僕ちんメディアの貴族だからメディアの話じゃないと嫌ダヨー」というだろう。じゃあ同じメディアの話であっても、例えばアメリカやイスラムのメディアの話は?それぐらいなら日本でも聞けるから出来るのかもしれないが、じゃあ例えばロシアのメディアの話は?と、つついていけば、どこかで必ず隙はできる。

それは当然で仕方のないことであるのだがそれにもかかわらず、自分の得意な武器だけを使って若者を叩いたのが、罪であり問題である。

 

 

3.知識量で人を裁くことの問題点

例えば、東京大学に通っている4年生の学生に、もう一度センター試験と東大の二次試験を受けてもらったら、いったい何割の人間が合格できるだろうか。塾講師とか家庭教師とかそういった特別に受験勉強をやっていた者を除けば、おそらく2割にも満たないだろう。

 

人間の脳が保持できる知識の量など、たかが知れている。だからこそ人は文字を発明して、それを体系化して記録したものを科学と呼んだ。当人一人が暗記して知っているだけの内容なんてものに科学としての価値はない。

 

例えば、歴史という科目は、本来は暗記科目などではない。過去の出来事がなぜ起きたのか、これから何が起きるのかということを理解して予測することが目的である。昔誰かが言っていたように、7世紀のインドの王様の名前など、本を見ればわかるので覚える意味などない。

物理や数学といった理系科目も同様だ。ただ既存の問題を計算するだけなら、電卓でもコンピューターでも使えば済むだけの話である。本当に問われている能力は、「新しい問題をどのように発見するか」や、「発見した問題をどのような手段で理解するか」ということである。

 

本の内容を暗記して取り込むだけならばただの作業であり、それをやった者が偉いなどということは、受験本番のときを除けば、まったくない。

だから、知識量だけで人をテストすることは、本来は間違っている。知識量だけでテストをするならば、よほど短いスパンで再テストをしなければ正当性は確保できない。

本来ならば、実際の身体能力や暗記に頼らない思考問題などでテストをしないといけない。そのため、実務経験が科目として必要になるテストも多い。

 

「暗記なんて本当は偉くない」。

この程度のことは受験勉強のときに気付いてなきゃいけないことであるはずだが、なまじ苦労せずにテストで高得点を取ってしまうと、これに気付くことがなく、そのまま知識量を振りかざす蹴鞠おじさんが出来上がってしまうのだろう。

 

 

4.「試験に合格した」≒「忘れてもいい」

受験勉強などに代表されるように、現在の社会においては、人が人を裁くときには、知識量という方法を採用している。正確ではなくても楽にたくさんの人間を判定できるという利点はあるし、それ以外の有用な方法も現状見つかっていないからだ。

だが知識量だけの判定方法を採用することによって、その弊害はそのまま残り続けている。

 

言ってみれば、試験に合格して資格や地位を得るということは「テストの内容を忘れてしまってもいい」という権利を許すことである。定期的に再テストがある場合でも、「(その時までは)忘れてもいい」という話でしかない。

 

蹴鞠おじさんは、そのようにして試験をクリアして、貴族になった。貴族になって、「叩かれない身分」を手に入れた。

もし山賊が襲ってきても、自分を守ってくれる軍隊を手に入れたから、自分自身は武力を鍛えておかなくてもよくなった。

これが、蹴鞠おじさんの貴族としての正体である。

 

だから、蹴鞠おじさんを倒すためには、物理で殴ればそれでいいのだが、それは「貴族」というシステムそのものを殴ることになる。

そんな「貴族」世界は潰れてしまえばいいと自分は考えるが、もともとこの「貴族」というシステムだって、人口が増えすぎたこの社会では、便利で仕方のないことだから採用されたシステムだ。

現状の「貴族」のシステムを破壊してしまうと、国を丸ごと破壊して全部再構築するような、多大なコストと時間を必要とする。

 

このような世界で、「蹴鞠おじさん」という貴族の横暴から身を守るためには、自分も頑張って試験をクリアして、おじさんと同じ「貴族」になるしかない、と思う。

おじさんよりもさらに偉い貴族になって、遠い将来におじさんを処刑することが、「貴族」という古いシステムを正す一番の近道なのだと思う。

 

 

 

*1:史実では一般庶民にも広まっていたらしいが