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愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「0円贖罪」というボーナスゲーム

仕事

megamouth.hateblo.jp

ほんとこれ。マジでこれ。

自分の職場でもこういった「0円贖罪」が日常的に行われている。

自分の場合はプログラムに関することではないが、何か成果を求められる場においては、この「0円贖罪」はどこでも行われることなんだろう。

なぜなら、上から叩ける立場の者にとっては、心地の良い思考停止であるから。

 

今日は、この「0円贖罪」の心理のことを書いてみる。

 

 

 1.「0円贖罪」とは

あるプロジェクトが遅れてしまって、納期通りに物が作れなかったとき、

スケジュール延期の代償としての追加仕様の実装や、修正ついでの機能追加

 で許してもらおうとすること、あるいは「それで許してやろう」とすることが、今回言われている「0円贖罪」である。

 

プロジェクトが遅れてしまってヤバい(と思っている)のは、どちらかと言えば現場の方ではなくマネージャーや元請けの方である。

マネージャーは本社の進捗会議の時に詰められるからヤバい!と思っているが、そんなどうしようもない状況において、この「0円贖罪」は非常に魅力的な逆転手段である。

 

「0円贖罪」とは、「納期が遅れてしまった」というミスを、先送りにできる手法だ。

「困難なプロジェクトをなんとか成立させた」という評価を得る事ができる。場合によっては、これは「スケジュール通りに、当初の想定の仕様のシステムを完成させる」ことより名誉なことであったりもする(!)

と先の記事で言及されているとおりであるし、また機能の追加が上手くいった場合はそれで完全勝利にできる目だって出てくる。

 

しかし、言い換えれば「0円贖罪」とは、負債のダブルアップである

機能を追加するのに必要な時間もろくに見積もっていないし、追加した機能が別の問題を生む可能性も考慮していない。

せっかくリスケジュールをしたのに、余計な仕事を増やすことでそれを台無しにしている。

もともと自分たちのスケジュール設定が甘かったという点に目を背けて、さらに勝ち目のない勝負に希望をかける。

 

 

2.「0円贖罪」を選んでしまう心理

この「0円贖罪」は、働く側と働かせる側の信頼関係の問題である。

「普段現場の仕事を見ていない上長」や、「開発部門から生産部門」など、プロジェクトが意識の隔たりがある地点を通過するときに、この「0円贖罪」が要求される。

 

たとえ元々のスケジュール設定があいまいであろうと、一度仕事を始めてしまった以上、「プロジェクトが遅れた」という点については、現場側にも一定の責任がある。

そこで「0円贖罪」によってスケジュール延長という慈悲が与えられたわけであるが、それはつまり「仕様の追加できる弱み」を見せたことになる。

上の立場の者にとっては、その点については絶対に負けないし、殴り放題だ。その上マウンティングまでできる。叩く側にとってはボーナスステージのようなものだ。

 

「追加する仕様」の具体的な内容についても、基本的に「信用ならない」という前提で動いてしまう。

マネージャーたちは、「こいつらはスケジュールを遅らせてしまったやつらだ」と思い込んでいるし、「逆境でもちゃんとリスクを計算する俺かっこいい」と思い込んでいる。

「0円贖罪」という絶対に負けない立場に自分たちが立っているから、「そもそもなぜ遅れてしまったんだ?」ということを考えようともしない。理由が分かったところで採択もしない。

 

仕様を追加しろと言いつつも、「お前ら本当にできるの?」とか言ってしまう。

ひどいケースになると、「本当にできるのか納得させてから進めろ!」とさらに無駄な仕事を増やす。元々できるかできないかもわからない仕様であるのに、その責任はなぜか現場が悪いことにされる。

 

リスケジュールを行ったうえでも、締切は依然ヤバい。

その上で仕事の内容にケチがつけられて、「信用できない」という話を出されると、現場としては納期を急ぐという選択肢が取れなくなる。

元々危ない戦いであるのに、マネージャーと現場との信頼関係のなさによって、さらに危なくなっていく。

 

なお、最初から現場の能力に問題があるという可能性もゼロではないが、先日の記事で書いたように、上司やマネージャーというものは、9:1ダイヤのレベルでそもそも絶対的に有利である。

clacff.hatenablog.com

 仕事の内容にケチをつけるのは、後出しジャンケンする方が絶対に有利である。

コミュニケーション不足による誤解は、全部こっちの責任にできる。

 

仲間同士で憎み合う職場が出来上がっているから、こういう叩きあいでマウンティングをとろうする。

もはや正義などでなく、殺し合いでしかない。殺し合いの果てに正義があると思っている。

あるわけねーだろ

 

 

 3.「0円贖罪」の日常化

ひどい場合になると、元々大丈夫だったスケジュールを、「0円贖罪」で壊してしまうことだってある。

こんなんじゃだめだ!とちゃぶ台を返すことがかっこいいと思ってしまう心理が、技術の世界においては存在する。

そして、そのひっくり返したちゃぶ台は、「0円贖罪」で完済できると思い込んでいる。

お金をかけてでも、時間をかけてでも、スケジュールを圧縮してでも、いいものを作りたいという行き過ぎた職人気質・ものづくり意識がこれだ。

配慮が足りないクソおたくが技術屋を気取っているから、芸術品ばかりを作りがたる。

 

「転んでもただでは起きない根性」というものは、必ずしも正義ではない。特に、他人との信頼関係や立場の差が存在するのならばなおさらだ。

前提が間違っていたならば、それを認めて大人しく死んでおくことが正義であり真実である。

 

下請けと元請の関係ならば、「0円贖罪」が発生してもまだ「意識の違い」としてあきらめることもできるだろうが、自社内だけでこれをやられてしまうと、クラウドソーシングのような解決策を取ることもできない。

信頼するべき上司に「0円贖罪」をやらされてしまうと、お互いに不信感だけがたまっていく。

当人としては、試練を与えて成長させてやっている気になっているのだろうけど、プロジェクトは遅れて質は落ちる一方だ。

 

まあ、「0円贖罪」なんかやってて安心していられる段階ならば、会社において「信頼し合える仲間」なんてもともと必要なかったのかもしれないが。