愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

【売れれば正義?】漫画作品のエグいシーンを切り取ったネット広告について

 

 

clacff.hatenablog.com“馬鹿の多さに期待する”という戦法は、とてつもなく有効であるが、長期的には人が蓄積した知性を食いつぶす悪手である、と先日の記事で書いた。

 

そして、現代の社会における大抵の不幸も、この“馬鹿の多さ”を肯定することによって運営されるロジックである、とも書いた。

 

社会には、こんな不幸があふれている。

とても説明に使いやすい事例がさっそく出てきたので、紹介してみようと思う。

 

 

目次:

 

 

1.漫画作品のエグいシーンを切り取ったネット広告

togetter.com漫画作品の内容を歪めて、ショッキングでキャッチーな広告に仕立て上げる。

その結果、多くの人の目に入り、商業的にはより多く売れるようになる。

こういった手法が、さっそく使われている。

インターネットにおいて広告を配信するビジネスモデルでは、“これが有効な手法である”と、綿密な調査と統計により、明らかにされた。

 

どんな作品でも、目に入らなければ、認知されなければ、評価すらされない。

どんな作品でも、売れなければ、出版社が食っていくことができない。

そういった論理は一応成り立っている。

しかしそんな事情があろうとなかろうと、“嘘”を押し付けられた時点で、その作品はもれなく死亡する。

それでもなお、こんな手法を採用するのかどうかというのは、ちょっとよく考えたほうがいい。

 

「どうやって嘘を作り上げてやろう」と、漫画からわざわざこういうコマを探して、嘘の画像を仕立てあげている間に、その編集者はどんな顔をしているだろうか。

上からこうやって作れと指示されているだけで、当人は何も考えていないのだろうか。

それとも、実は作品の中身なんて読んでないから何も知らないのだろうか。

 

ちゃんと中身の作品を読んだ上で、こういう広告を作らされているのだとしたら、そりゃ精神だっておかしくなるだろう。

声が大きく拡散能力を持った出版社と言う組織の人間が、そういう精神状態にあるというのは、とても危険で有害だ。

 

 

2.こういう手法を許し続けるとどうなるか

こういった嘘広告という手法が氾濫することで、担当者の精神が狂っていっているらしいが、むしろ今はまだマシなのかもしれない。ちゃんと作品を読んだうえで気を病んでいるのならばまだいい。

本当に恐ろしいのは、こんな思いをするのは嫌だから作品なんて読まずに広告を作る、と割り切られた時だ。

 

出版社が作品を読まないようになったら、もう全部おしまいである。

“嘘を書いて釣り上げてやっている”ということにすら気付けずに、本当に嘘を流してしまうケースだって出てくるだろう。

査読をしない論文雑誌が権威を持っているようなものだ。

そういう者が科学を広める役割を担ってしまうと、誰も科学を理解しない世界がやってくる。

 

“書いた者だけが分かっていればいい・読める者だけが分かっていればいい”という姿勢には、これだけ大きなリスクがある。

そんな姿勢では、出版して広める意味がなくなる。広めることができない以上、それだけ価値が落ちる。

科学も技術も政治も芸術も商業もスポーツも、人類が積み上げてきたものは、みんな同じ論理で破壊できる。

 

 

3.特定の心だけが鍛えられていく

ところで、今回の“漫画のエグいシーンを切り取って広告にする”という手法で利用されるものは、虐待とかエログロの内容が多い。

 

虐待とかエログロとか、こういうものこそが人の心によく響く。

そういう事実を、綿密な調査のもとで見出したのだろう。

人間の心理なんてものは、結局そういうものだったのかもしれない。

 

人の心には下種な部分は確かにある。

しかし、その感情だけを使っていたら、そればかりが鍛え上げられていく。

多くのビデオゲームが教えてくれているように、同じスキルばかり使っていたらそこしかレベルが上がらない。

 

そんな下種な心がカンストすれば、すなわちこういう“漫画のエグいシーンを切り取った広告”が完全に飽きられてしまえば、たぶん業界は別の広告を考えだすのだろう。

何年後か何十年後かは知らないが、そのときまでは、こういった下種な手法は横行し続けるわけだ。

 

そして、“今の市場ならこんな程度の広告が有効だろう”という判断基準は、その時の社会における“品性のボリュームゾーン”に合わせられる。

すなわち、現在の社会における人の品性の最小公約数を参照してしまう。

人口が多ければ多いほど、特に馬鹿の人口が多ければ多いほど、こういった下種な手法は長持ちしてしまうわけだ。

 

 

4.聴衆・消費者の責任

“儲かればいい”という資本主義のシステムは、とてもよくできているが、限界があるとしたら、ここだ。

人類の知性<金となってしまったら、人は自らを維持できないレベルにまで退化して終了する。

 

“嘘でも売れればいい”という思想は、このような理由があるから危険である。タダでついていい嘘なんて一つだって存在はしていないんだ。

 

今回の漫画広告のケースにおいては、“一応は実際のコマを使っているから、嘘はついていないよ”という保身が可能である。本当に作品を読んだ上でこの部分を切り取ってしまった、と言い張ることも可能である。

そのようにして、人類が積み上げてきた成果は、最小公約数だけしか活用されないで潰されていく。

 

漫画も科学もスポーツも、作品を手に取るそれぞれの個人が、自分の責任で判断力を鍛えなければならない。

さもなければ、漫画作品みたいな身近で崇高なものでさえ、簡単に壊されてしまう。

こんな社会では、いずれ漫画を真面目に描く人だっていなくなるだろう。

 

「みんないいならそれでいい」という、愛を肯定して生きる思想。

多数決の結果をそのまま信じ込んでしまう思想。そんな他人至上主義・自分至上主義を採用してしまうと、人間は猿に戻る。

それはとても心地よくて楽な生き方ではあるが、やはり人は愛だけで生きてはならないと思うんだ。