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愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

たけしの挑戦状は本当にクソゲーだったのか?

文化

 

こんなまとめを読んでみた。

togetter.com“統計は模倣をするためでなく、未来を創造するために使う”という点に深く納得したが、それよりも、ビデオゲームの難易度に関する話題に興味を持った。

 

クリア率0.3%のゲームなんて分かってたら「俺には無理だ」って人がほとんどだから売れない。

 

なんかこのブログは、愚民と科学の事ばかりを書いている気がするから、久しぶりにゲームのことを書いてみようと思う。

たけしの挑戦状はなぜ許されなかったのか”。

自分も昔少しこういう言論をかじったことがあるから、書いてみよう。

 

 

1.このゲームの一般的な評価

たけしの挑戦状というゲームは有名だと思う。

しかし、昔も今も“伝説のクソゲー”ということで評価は一貫している。

ゲームスタートしても目的すらわからない、ノーヒントでクリアできるわけないゲーム、といった評価である。事実としてはそれであっていると思う。

 

www26.atwiki.jp“伝説のクソゲー”ということで、ゲームカタログwikiなら綿密で、なおかつ良質で長文のレビューが見られる。

そこでも、やはり“これはノーヒントのクソゲーだ”と評価されている。

 

ゲームカタログwikiでも言及されているが、このゲームが現在一番評価されている点は、世界観だ。

“サラリーマンを操作して街中を自由に歩けるゲーム”なんてものは確かに斬新で面白かった。

今でこそ龍が如くとかGTAとかあるが、その面白さの先駆者であると言える。

ビートたけしの世界観の元祖だとかとも言われている。

 

街並みにいろいろな建物があり、中に入ることができる。パチンコゲームやカラオケゲームもある。カルチャースクールもある。ヤクザを殴ると金がもらえる。社長を殴れる。奥さんや子供も殴れる。このゲームでできることはとても多く、バイオレンスで面白い。

また、歩く・しゃがむ・ジャンプ・大ジャンプ・パンチ・話しかける といったアクションは、当時のアクションゲームとして考えれば結構多彩な部類に入る。

その上、ストーリーが進むと銃を撃てたり石を投げれたりする。

 

サラリーマンを大ジャンプさせて、通行人を殴り倒し、そこらの店に入って酒を飲めるゲーム!

このゲームを操作しているワクワク感は、正直マリオより上だった。

だからこそ、謎解きなんか投げ捨ててパスワードハックで銃を撃ちまくるプレイだけでも楽しかったのだろう。

パスワードはいつでも取れるし、子供同士が伝承しやすいようなネタパスワードもたくさんある。この辺にこのゲームのクオリティの隙のなさを感じる。

だからこそ、売れてしまったのだろう。

 

 

2.難易度に関する議論

こんなに楽しいゲームがなぜクソゲー扱いされているかと言えば、それは難易度が高すぎるからである。

 

ここに一番の誤解があると、自分は思う。

この「たけしの挑戦状」は、最初から全員がクリアできるようには作られていない。

ファイナルファンタジーのような、ある意味“クリアしてくれないと話が成り立たないゲーム”ではない。

文字通りの“挑戦状”であり、賞金付きのパズルのような性質のゲームだ。

クリア者を簡単には出さないためのゲームであり、謎解きゲームとしてはむしろ歴史があり正当な分野である。

 

「謎を解けるか。一億人。」

「常識があぶない。」

「今までのゲームと同じレベルで考えるとクリアー出来ない」

そもそも、このゲームのキャッチコピーからしてこれである。

 

このゲームでエンディングまでいくと、たけしが「えらいっ」と褒めてくれる。

1万人に一人クリアできればそれでいいゲームなんだこれは。

そりゃ難しいに決まっている。

 

しかし難しいとは言っても、パズルとしては当然成り立っている。それも、割と高度で繊細なレベルで。このゲームで理不尽と言われている点はたくさんあるが、いくつかを擁護してみようと思う。

 

(問題点1.)最初に辞表を提出しなければクリア不能

(解答)辞表を出さずに進むと、途中で“会社に戻ってこい”と言われて最初に戻されるイベントがある。そのため、一度これでミスったプレイヤーなら、“あれ、これは最初の選択肢で辞表を出しておかなければダメなんじゃないか?”と気付ける余地がある。(しかも、このゲームのスタート地点は社長室なので、二週目を始めたらに気付けるタイミングがすぐに来るという仕掛けもある。)離婚イベントや地図のジジイを殺しておくイベントも同様。

 

(問題点2.)宝の地図の出し方

(解答)1時間も操作しないで待たないといけない!とよく勘違いされるが、それは正規の方法ではない。ゲーム中には“5分が勝負だ”というヒントのセリフがある。そしてなにより、このソフトのテレビCMでたけしが宝の地図にマイクを使っているという大掛かりなヒントが出ている。(むしろ現代ならば、斬新だが納得できるヒントの手法として認められていると思う)

 

(問題点3.)セスナで行くとなぞのくうちゅうばくはつ

(解答)これも、“飛行機では滑走路がないからダメだ”というヒントのセリフがある。ハンググライダーだと難易度が異様に高く、目的の島も複数存在するところが難しいが、総当たりで調べれるだけまだマシだ。また、ここではちゃんと正解を選ぶと正式なサブタイトルが出てくれる、というご褒美もある。

 

(問題点4.)どうくつでしゃがむとか分かる訳ない

(解答)“うんこは地下への導き”とか、“山の上でうんこ”といったヒントはある。日本兵の家へ行く方法のヒントもある。うんこ=しゃがむということには、テレビゲームに慣れた当時の子供なら、いろいろ操作していれば普通に発想できるレベルだと思う。洞窟内部に来てしまったらもうヒントはないが、ここまでくればいろいろ試すだろう。

 

ほかにも、謎解きの部分は大体が選択式なので、総当たりでも解決はできる。

まあ、ダミーの選択肢が多すぎる・カラオケの判定にバグがある・パチンコの玉が出ない・三味線か尺八か・土産屋で何を買っていけばいいか 等といった、ちょっと擁護不能なところもあるが…

 

 

 3.”挑戦者上等”か、“みんなでエンディング”か

たけしの挑戦状は、“挑戦者上等”のパズルとしては、よくできた名作だったと思う。

世界観とかアクションゲームとしての評価以前に、そういうところでもちゃんと価値がある作品だったと思う。

そしてこのゲームはもともと、北野武が“難易度が高すぎる”というスタッフの意見を突っぱねてまで作った、とにかく斬新で印象に残るゲームだった、というインタビューの記事も残っている。

 

しかし、それでも難易度は高すぎたのだろう。

一万人に一人クリアできればいいとはいっても、これ俺には無理じゃね?とあきらめるまでの時間が、想定した以上に短かったのだろう。

 

そして、下手にアクションゲームとしては名作だったから、騙される人も多かったのだと思う。正直、もっとガチガチのADVだったら、そこまで叩かれてはいなかったと思う。

当時はファミコンソフトの値段も、相対的に高価だったという懐事情もあった。

 

当時のファミリーコンピューターには、難過ぎてクリアできないゲームや、理不尽すぎてプレイできないゲームがあふれていた。

そんな初期の作品群でも、マリオやドラクエは、「頑張ればちゃんとクリアできる」というゲームバランスにより好評を博した。

 

たけしの挑戦状というゲームは、謎解きとしては純粋で歴史があるスタイルのはずだが、1986年当時には、すでにテレビゲームはクリアするものではなく楽しむもの、という新しい理解が始まっていた。

 

“挑戦者上等”か、それとも“みんながちゃんとエンディング”か。

どちらでも楽しいゲームは存在するのだろうが、1986年当時にはすでに、市場規模が大きいのは、“みんながちゃんとエンディング”のほうだった。

金を払ってくれて人口が集まってくれるのは、こちらの方だった。

 

しかし、たけしの挑戦状は“挑戦者上等”に分類されるゲームであり、だからこそクソゲーと呼ばれた。

 

そして、このゲームが現在受けている“クソゲー”だという評価は、当時このゲームが解けなかった負け犬たちが送る拍手である。

自分も当時全く解けなかった口だけどさ。