愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「新人のうちは何でも質問できる特権がある」という概念を徹底的にこき下ろす

 

4月になって新年度が始まりました。

この度、新入社員になった若者も多いと存じ上げます。

 

新入社員は、OJTを担当する先輩や直属の上司から、以下のような言葉を聞くことがあると思う。

「新人のうちは何でも質問できる特権がある」

「最初のうちはどんどん質問して、立派な~になってください!」

 

最初の研修のときに大抵の職場で高確率で言われることであるし、場合によっては入社式で社長が直々に聞かせてくれるかもしれない。

 

学校では意外と聞かなかった言葉だよねこれ。

これから社会人を頑張るぞ!と意気込むあなたに、ぜひ聞かせたい。

「こんな言葉は大嘘である」と。

 

今日はこの「新人のうちは何でも質問できる特権がある」という概念を、徹底的にこき下ろします。

 

 

 1. なぜか「三年」

まず、わかりやすい矛盾点を一つ上げる。

 

この「新人のうちは何でも質問できる特権がある」という概念は、なぜか「最初の三年は」と区切られているケースが多い。

そしてこの数値に何か意義や正義があるかといえば、ないんだなそれが。

 

一つの道を確実に学ぶのには、三年なんかよりももっと長い時間がかかる。

本当のところは、五年経とうが十年経とうが、上を目指して学び続けなければならない。

というより、普通は三年も経ったら立場も仕事も変わる。また初めからなわけだ。

先輩や上司は、「いつまでも学び続けるように」とも言っていたでしょう?

つまり二枚舌なんだよ既に。

 

逆に、もっと仕事の表面的なことを学ぶだけならば、三年なんて時間はかかり過ぎである。

やることがはっきり固まっていれば、仕事なんてものはたったの一週間でも慣れて飽きてくるはずである。

三年も経ってできていないなら教え方が悪過ぎであると言えるし、三年経ってできない仕事は覚える必要はない仕事だ。ほかの仕事を頑張ったほうが、会社にとっても本人にとっても得だ。

 

すると残る正義としては、「上司や先輩は忙しいから質問には答えたくない。最初の三年だけ我慢してやる」という、一方的な要求だけである。

何か三年たったら試験を実施したり、質問を禁ずるようなルールをわざわざ整備しているならば話は別であるが、そんなケースは皆無である。

 

どれだけ勝手なことを言っているか、わかってきただろう。

ここまでわかったら、いっそ上司に「お尋ねしてよろしいでしょうか!なぜ三年なのでしょうか?」と聞いてみるといい。十中八九、上司はノリで適当言ってただけだから。

「新人のうちは何でも質問できる特権がある」だとか言っておけば、なにか厳しいいい先輩でいられると思っている。その程度だ。

 

なお、覚える仕事が極端に少ない場合や、教育にかける余裕が全く無いような職場の場合は、しれっと「研修期間の間」「1年間」といったように、勝手に期限が縮められる。

もともと正義や真実なんてありもしない言葉だから、ちょっと状況が切迫すればすぐに手の平を返す。


 

2. 知識や技術の出し惜しみ

以前もこのブログで引用した、ジョージ・バーナード・ショーの言葉がある。

 

    もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、 ひとつずつだ。

    でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。

 

知識や技術というものは、「他人に渡してもオリジナルは無くならない」という点に、一番の価値がある。

一人が技術を教えれば、技術者がそのまま二人になる。

すなわち、無限にコピーができると言っていい。受け取る側には勉強したり理解したりするコストはかかるが、渡す側はノーコストで味方の武器を増やすことができる。

 

あらゆる科学が、「なるべく誰でも理解できるような形で体系化されている」ように、知識や技術は、互いに共有しあうことによってその価値を高めることができる。

敵対関係にあるような人たちならば話は別だが、同じ会社の仲間であるならば、知識や技術は、好きなだけ・使いたいだけコピーしまくるべきであるんだ。

 

ちょっと想像してみよう。「個人によって秘匿される技術」にどれだけの価値があるかと言ったら、その一人の範囲のみでしか役に立たない技術である。

その技術は使いたいだけ広めるべきであるし、広めないというのならばもう人数が足りているから学ぶ必要のない技術だ。

技術なんてものは、使って役に立てなければ意味はない。

 

だから断言しよう。

「質問は新人のうちの特権」とか言っているのは完全に頭が古い。古すぎる。

武器の共有を無意味にストップして悦に浸る馬鹿がいる。

社内が味方同士ではなく敵同士だというならば、チームワーク以前の問題である。

 

質問は特権でもなんでもなくて、必要に応じて好きなだけ行わなければならない。

「青色のボールペンが使いたいから総務部でもらってくる」程度の気軽さであるべきだ。

技術とはそのようなスピード感をもって活用されるべきであると考える。

 

 

3.「甘え」という概念

基本的に、「甘え」という言葉を他人に使う人間に、まともな人間はいない。

 

質問とは「甘え」ではなく、一番早くて便利な解決方法である。

人間の説明能力にはそれだけの価値があり、本や資料で調べるよりも、ほとんどの場合でよほど有効である。

相手のコミュニケーション能力を信頼して、より大きな成果を上げようという手段である。そのためにはチームワークが必要であり、決して怠けや甘えだとかではない。

 

先ほどの技術の共有と同じ話で、もし上司と部下が互いに敵同士だというのなら、話は別だ。

「質問などするな」という言葉だってアリだろう。

が、同じ会社の同じチームにいて、なぜそれが敵同士になるのだろうか?

チームのマネージメント能力がマイナスに振り切れていると言わざるを得ない。

 

なお上司の側からすれば、この「質問という甘え」という言葉は、いつでも簡単に反故にできる。

上司の側は、部下に聞くことは平気で行える。コミュニケーションだとかほうれん草とか、勝手に理屈をつけて強要することができる。

だってもともと正義などないのだから、どのような形にでも取り繕うことができる。

 

もしあなたの上司が、「新人のうちは何でも質問できる特権がある」という概念を持ち出したのなら、そいつは見限っていい。というか可能なら始末したほうがいい。

 

なんで、「新人のうちは何でも質問できる特権がある」なんてデタラメが流行ったのだろうか。

職人系や体育会系など、そのような空気でこの言葉はよく使われているような気がする。

ならば少なくともそこは、たった三年で一人前に成れてしまうような浅い世界だったのだろう。