愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「コンビニで廃棄されるおにぎり」をせっせとつくる仕事

 

先日、学校と学生に関する記事を書いたので、今度は社会人向けに仕事に関する記事を書いてみようと思う。

 

多くの人は会社で働いていると、自分のやっている仕事でずいぶん無駄なことをやっていると気づく。

自分の時間の半分ぐらいは、「本当は味方であるはずの人に対する理論武装に費やしていることに気付く。

 

こんなことをやっているのは日本人だけかどうかは分からないが、とりあえず海外ではもっと建設的な思考をしている、みたいな記事は見つかった。

simplearchitect.hatenablog.com

無駄な仕事を無駄だと認識して省くことで、建設的な未来が作り出されるはずである。

 

自分が死なないために理論武装を続けるような、終わりのないディフェンスでもいいのだろうか。

多分良くはない。

今日は、それに至るまでの心理を書いてみる。

 

 

目次:

 

 

 

1.目には見えない余計な仕事

先の記事でも紹介されている通り、例えばこんな仕事があったとする。

1.会議に開いてみんなの意見を聞く

2.その上で一つの決定をして同意を得る

 

でも、実際にこの仕事を行うためには、もっと多くの作業が必要になる。

0-1. 全員の時間を消費する価値がある、という証拠を集める

0-2. 集めた証拠をパワーポイントで見やすいようにまとめる

0-3. パワーポイントに入りきらない分は手元に資料を用意する

0-4. 言葉が詰まらないように、暗記して訓練する

1. 会議に開いてみんなの意見を聞く

2. その上で一つの決定をして同意を得る

 

ここで追加される仕事は、本当は必要なものではないのだが、自分自身に身を守るために必要になってしまう仕事だ。

会議が終わった後はすぐに必要がなくなるようなものだが、それでも用意はしなくてはいけない。

 

まるで、コンビニで廃棄されるおにぎりのように。

それ自体は売り上げにつながらない無駄なものだが、「いつでも対応できる」というカッコをつけるために、わざわざ用意されて捨てられるものだ。

 

商売の戦略を考えると、コンビニのおにぎりを多く用意することは、結果的に利益は上げることにつながるのだろう。

だがそれは、相手が客であり、何を考えているかわからない存在であるから成り立つ話だ。

同じ社内の味方同士でおにぎりを無駄に作っても、それは虚構である。

 

 

2.各項目の解説

 

0-1. 全員の時間を消費する価値がある、という証拠を集める

これは、定例ではない臨時の案件ならば必須になる仕事だ。

なぜならば、ここをノーガードにしてしまうと、「会議を開くなら他人の時間を大事にするべき云々」でマウンティングを取ろうとする者が大抵一人は居るからだ。

必要だから会議を開くのは当然であるのだが、元々定量的な価値なんて測れないものに決まっている。だから、こういう後出しみたいなマウンティングでも成功率は割と高い。

逆に、毎月の定例会議など開催すること自体がすでに決まっている会議ならば、この仕事は何事もなかったかのように省略される。

 

0-2. 集めた証拠をパワーポイントで見やすいようにまとめる

会社によって求められるレベルは違うが、逆に言えば会社のレベル程度で上下しても構わないような内容である。

別に、情報として読めれば羅列してあるだけでも問題ないはずなのだが、プレゼンテーションの見やすさ(笑)とか演出(笑)とかに、命を賭けなくてはならない。

悪意を持った者にとっては、ここもマウンティングチャンスであるから。

 

0-3. パワーポイントに入りきらない分は手元に資料を用意する

 この0-3.が、一番大事だ。「コンビニで廃棄されるおにぎり」の本分である。

用意してきた答弁資料の多さでマウンティングが始まるわけだが、その競争には上限が設定されない。「どこまで用意すべきか」は慣例や適当な感覚で決まるため、本当に警戒をしようとすると切りがなくなる。

そして面白いことに、多くの場合でそのおにぎりは買われたうえで結局食べずに捨てられる。

なぜならば、別にそのおにぎりは食べたいから用意させた訳ではなく、最初からマウンティングをするためだけに用意をさせているからだ。

 

0-4. 言葉が詰まらないように、暗記して訓練する

0-4.において、マウンティングの本質が一番よく見える。

高度に発達したマウンティング合戦においては、「資料を用意して答えられるようにしておく」だけでは遅いのである。

本当にカッコをつけるためには、即答をしないといけない。

別に、ググって調べるのに1分かかろうが5分かかろうが大して変わりはしないはずだが、マウンティング合戦ではその隙が命取りとなる。

即答ができれば専門家としての威圧感と信頼性(笑)があるからだ。

むしろ、即答できる速度が内容の正しさよりも優先されてしまうことがある。

 

1. 会議に開いてみんなの意見を聞く

2. その上で一つの決定をして同意を得る

 これだけ終わったら、ようやく本来の仕事がスタートする。

たった一時間の会議のために、下手すれば前日よりも前からこんな作業をしなくてはならない。

これだけ手間をかける割には、会議で話が決定するのはたいていの場合でほんの一瞬である。

この一瞬のためだけに、下っ端の者は多くの手間暇をかけて、必要以上の理論武装をしないといけない。

 

 

3. 社会における事例

近年日本の国会において、答弁資料をAIで自動作成しておこうという試みが始まっているらしい。テレビで紹介されているのを見た。

 

国家公務員の答弁資料を作成する仕事は、まさしく「コンビニで廃棄されるおにぎりをせっせと作る仕事」である。AIで自動化をしてしまえば、公務員がサービス残業地獄から解放される、とのことだった。資料の用意だけならば高度な判断なども必要ないから。

 

しかし、やっぱりここでも精神論の批判が殺到している。

「すぐに答えられないとは政治家として恥ずかしくないのか!?」という意見を本気で述べている人がたくさんいる。

 

一応、政治家という職業では、少し話が違うのかもしれない。

政治の合理性や正当性以前の問題で、本気でパフォーマンスに走らないと命に係わる職業であるのかもしれない。

政治家がパフォーマンスをやらされていいのかという話を無視すれば、確かに質問されるたびにタブレットで検索をしているような姿は、かっこ悪いように見えるのだろう。

 

しかしこんな特殊な職業でもなければ、「即答できる教養の量」でマウンティングをすることにやはり正義は感じられない。

数学者が電卓を使って何が悪いのだろうか?

個人の暗算能力の多寡など数学においてはどうでもいい話であり、別の分野である。

むしろ計算能力を突き詰めるなら、多分若い子供のほうが成績はいい。

 

そうじゃなくて、電卓の計算能力を利用した先に、もっと高度な科学があるから。

だからこそ電卓を使っているわけであり、楽をしたくて使っているわけではない。

 

国会答弁のAIもこれと同じ話だと思うが、どうか。

 

 

4. マウンティングを正義として採用する人たち

結局のところ、他人を信用しようとしないような間柄が、理由なのだと思う。

他人の意見を少しずつ取りまとめて判断するような、手数の余裕がないのだろう。

だからこそ、持っている教養を一度に全部を示してもらわないと安心ができない。

マウンティングの勝負は質問された直後の一瞬で決まる。

 

「マウンティングに耐えらないものは弱いものだから正しくない」という教義が存在する。

 

人類の科学は議論によって組み立てられているが、その過程がそのようなマウンティング合戦に見えてしまうのだろう。

本物の学者や研究者でも、そういう理解で生きている人が大勢いる。

 

突っ込みどころがあるのならばそれは正しくないものであり、突っ込むことができる側はそれより正しいものである。その繰り返しによって正義が作られると思っている人たちがいる。

マウンティングをすることが、正義を追及する建設的な行為であると思っている人たちがいる。

 

しかし、そうやってマウンティングで勝ち続けてきた人たちが絶対に気付かないことがある。その人にとっては、すべての正義の前提を崩してしまうことだから。

マウンティング合戦は、「勝つだけならばクソ簡単である」ということだ。

不毛なことを言ってクソゲーにすればいい。

即答を求めて狼狽させればいい。

権力差を利用して自分が理解しない振りをすればいい。

自分が勝てるところから一歩も動かなければいい。

 

「突っ込みどころがあるのならばそれは正しくないものであり、突っ込むことができる側はそれより正しいものである」という考えは、短期的には確かに正しい。

しかし、実際にこれを運用して正義を構築するためには、人間同士の強い理性と信頼関係が必須である。

 

電卓を使って当面の暗算をサボることを許したからこそ、コンピューターによる科学が生まれた。

信頼しあった上でないと達成できないことは、社会にも会社にもたくさんある。