チャーハンで分かる、専門分野のマウンティング合戦のこと
なぜ人はマウンティングをしたがるのだろうか。
元をたどれば自然界でサルとかゴリラとかがやっている行為であり、人間の社会性にもその本能が残っているから。
古い日記を見つけたが、ここの解説が詳しかった。
しかし、サルやゴリラとは違って、人間は地位や持ち物ではマウンティングはあまりしていないように見える。そのあたりは、獣から少しは進化をしているのだろう。
人間は主に、自らの能力の多寡を使ってマウンティングをする。
議論と理性という武器を取らなくては、人類社会には未来は無いと思うので、今日はその心理について書く。
目次:
1. 心の生存競争
なぜ人はマウンティングをするのに能力の多寡を使うのだろうか。
結論だけを先に言うと、「誇りで殴るのは最高に楽しいから」だ。
相手が持っている一番大切なものを叩き壊す最高の攻撃であるからだ。
自らの誇りに「相手をぶっ殺した!偉い!」という勲章をつけることができるからだ。
人間が一つのデスクトップパソコンだと例えた場合。
心とは、ソフトやハードなどではなく、それらを動かすための電力を意味する。
電力がなければ人体は一歩も動くことはできないし、適切なものを絶えず供給し続けなければならない。
そんな大切な心に、ダイレクトダメージを与えることができる。そして自分の心はその成果を独り占めできる。誇りを使った殴り合いは、こんなハイリターンであるからだ。
2. 武器は戦いを引き寄せる
そういうわけで、何としてでもこの誇りを使った殴り合いに参加しなくてはならないわけだが、じゃあ自分がどんな誇りを持っているのか?というのを考えるときに、わかりやすい例がある。
以前、チャーハンの作り方に関する記事を書いた。
チャーハンというのは、低コストで効率よくカロリーを摂取できる利便性が高い手段であるため、特に一人暮らしで自炊をする者には、よく使用される技術である。
言ってしまえば、チャーハンを作る能力というのは、社会不適合者の糞ニートであっても手に入れることができる誇りである。
だからこそ、インターネットの社会においては、この誇りを使った殴り合いが頻繁に起こる。
テロリストがAKばっかり使うという事例によく似ている。
すなわち、戦いをしたくてしかたない者たちが、手に入れやすくて使いやすい環境が揃ってしまっている。
糞ニートはチャーハンの作り方ぐらいしかマウンティングできるような誇りは持っていないが、仕事や学校で別途能力を身につけた者たちは違う。
AKなんかよりもっと上等な武器を使って戦争をしている。
最たるものが、「プログラミングの能力」であると思う。
インターネットの世界では、情報工学の分野で、チャーハンの作り方と同じぐらい醜い争いがより大規模にハイレベルに行われている。
例えばこのようなもの。
以前自分が記事で書いたような、「正しさハラスメント」とか「なんでもいいからナンバーワンになれ」とか、そういう争いに夢中になっている人種だ。こればっかりは文系より理系のほうがクソだと思う。
3. 争いの先を見据える義務
チャーハンの作り方にせよプログラミング技術にせよ、不幸な人生では、それしかマウンティング合戦に使えるような誇りがなかったのだろう。
マウンティングをしないと落ち着けないというのは、野蛮で幼稚な精神だと断ずることもまたできない。
すでにここは、見栄を張らないと本当に殺されてしまうぐらいの修羅の国だから。
だが、能力でマウンティングをしようといっても、ほとんどの場合で能力とは定量化ができない不安定なものである。
人間は、こんな不安定なものを使って勝った負けたを繰り返している。
体の大きさとか子分の頭数とか、そういう目に見えるものでマウンティングをしているだけ、サルやゴリラのほうがまだマシなのかもしれない。
能力は、たとえあったとしても定量化ができない。
その能力を使って価値を持ってこられるかどうかは、いつも別問題なんだ。
例え最高のチャーハンが作れる能力があったとしても、それだけでは単に自慢ができるだけである。
それで自分や他人の腹をどれだけ効率的に満たすことができるのか?
どんな店を開いてどれだけの利益を上げることができるのか?
能力が持った者が本当に考えなければならないのはこういうことだ。
能力を持った者なら、普段もっと高度な技術的な会話をしているのだから、答えなんてすぐに出るはずだ。
マウンティングなんかよりもさっさと次のことを考えなければならない。
クロコダインが言っていたこのセリフはこういう意味だと思う。