愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

新卒大学生が「何の技能も持っていない」ことを正当化できちゃう論理

 

6月は、2018年3月卒業の大学生が就職活動で面接を始める時期らしい。

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このように、就職活動のスケジュールというものは毎年変わる。

経団連と大学が、採用業務の都合と学業の都合を話し合って、このような形に決定されるらしい。

内々定とかいうクソみたいな子供だましワードを消し去ってから物事をほざいて欲しいと心から感じるが、とりあえず現在のところはこのスケジュールに従って、大学生たちがブッ殺されたり生き延びたりしている。

 

日本の新卒就職活動にはクソで不可解な点がいくつかある。

そのなかで一番最初に出てくるのが、「なんで新卒の大学生なのか」という話題だと思う。

 

二十歳を超えていてそんなに若いわけでもない。

何か専門的な業務ができるわけでもない。

アルバイトも勉強も片手間であり、サークルで遊んできたモラトリアム大学生達だ。

なぜ企業はこういう人間をこぞって欲しがるのだろうか。

 

処女信仰とかシステムの問題とか、いろいろ説明できる理論はあるが、当時就職活動をしていた自分はそれにどうも納得ができないでいた。

「自分って冷静に考えれば何もできないよなぁ だからブランドで誤魔化して勝つしかないんだよなぁ」と、そういう負い目を感じながら就職活動をしていた。

 

こんな心情で戦っている大学生は多いと思う。

今の自分だったら、それに対する説明ができる気がするので、書いてみる。

 

 

目次:

 

 

 

1.解答解説

「俺はやればできる。今は本気を出していないだけ。」というグータラ人間定番の心理があるが、これが答えだ。

つまり企業は、「やればできる人間」こそが欲しい。

 

新卒大学生を採用して働かせ続けることには、何億円ものコストがかかる。

しかし会社としては、アルバイトや派遣社員ばかりで社員を構成するわけにもいかない。

長期的に忠誠をもって在籍してくれて、いろんな仕事をやらせれる社員というものがどうしても必要だからだ。

大学生たちは、その椅子を奪い合って戦っているわけだ。

 

新卒の学生は長く雇うので、一つの業務ではなく色んな業務をやらせたい。

しかし何年も何十年も雇うので、どういう仕事をやらせることになるかは会社の側もわからない。

だから、「いろんなことに対応できる能力」を持った者が欲しい。

 

逆に極論を言えば、今会社の業務に必要な技術を持っている者は、新卒採用では要らない。

特定の業務ならば別の企業にアウトソージングでもしたほうがいいからだ。

新人を追加してでもやらなきゃいけないような差し迫った業務を、新卒大学生にやらせるのはコスト的に損だからだ。

 

 

2.(ポケモンで言えばメタモン

ここまで考えたところで冷静に見てみると、「今までモラトリアムをやってきた大学生」という存在は、実はとても魅力的で最適な人材であるということがいえる。

 

難しい受験勉強を突破して、大学で様々な教養を無駄に齧りながら、なおかつ遊び過ぎずにちゃんと卒業をした者。

なんか研究とかをやってたみたいだけど、それが業務の直接の役に立つことはまずない。

年齢は若くなくて、役に立つ技能を何一つ持っていないクソ大学生である。

多くのことをやってきた割には、何一つ成し遂げていないクソ大学生である。

 

「俺はやればできるんだ」という、ニートみたいなステータス異常を、最後まで維持させてきた存在が新卒大学生だ。

それこそが企業が求めるものである。

 

科学において暗記が無価値であるように、「いつでも参照取得できる」という理想の状態を大学の無駄な四年間で鍛え上げてきた存在だ。

 だから新卒大学生は、やれてなくてもいい。無垢なままでいい。

 

逆に、「俺は何もできない」という状況を本気で理解して危惧した者ならば、実際に企業で役に立つ技術を学んで、高卒や専門卒で就職をしている。

 

例えば、高卒のたたき上げの技術者が「お前が今までやってきたことなんてどうでもいいから新しいこと学んで」とか言われたら、多分ほとんどはついてこれないだろう。

そういう仕事をやるのが新卒大学生である。

 

高卒と新卒大学生のどちらが優れているのかはよくわからない。

「単機能の電卓」と「HDDが空のパソコン」のどっちが役に立つだろうかという話だ。

会社の需要としては両方ある。

 

 

3.企業側が乗り越えるべき心理

本当に取りたい新卒大学生には、能力など要らない。

「これはできないから別の方法を考えよう!」という発想能力も要らない。

「俺は何もできない」という状態こそに価値があり、何かをできてしまうことは自らの存在に矛盾しているからだ。

また、アイディアを出す仕事は偉い人たちが自分でやりたいに決まっているからだ。

 

しかしこういった要求は、実は企業の側でも本気で理解している人は多くない。

心の底では「HDDが空のパソコン」欲しいくせに、面接の上では「何かすぐ使える能力は持っていないの? ア~ン??」といったことを言ってしまう。

 

新卒大学生の採用については、今回自分が述べている以外の理論や動機もあるのだろう。

それぞれが自分の理論を胸に抱えていて、社内でも共有が取れていない。

 

「何もできないクソ大学生になんで高い給料を払わないといけないんだ」というテーマを、会社の側が考えて理解しないといけない。

心情的にはとても認められないことなのは間違いないが、ここを乗り越えないと多分正しい採用活動はできないのだと思う。