愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「理系萌え」と、それを真に受ける理系を徹底的にこき下ろす

 

「理系萌え」という概念が存在する。

Googleで検索してみたら、トップの2件でこんなサイトが出た。

www.sugoren.com

www.sugoren.com

 

 漫画でも「理系萌え」を扱った作品はたくさんある。

近年では「もやしもん」「数学ガール」なんかが有名だろうか。

最近少し話題になっている「ガタガール」も含まれると思う。

 

本の学校の大体半分は理系なので、現在の人口の約半分の萌えを扱っているならば、それは結構な重要性があるのだろう。

上に挙げた作品も、漫画としてはまあ面白いと思う。

 

しかし個人的には、この「理系萌え」というやつには最高に反吐が出るし嫌な思い出しかない。

今日はこんなことを主張してみようと思う。

 

 

 1.まず目を覚ませ

最初に、有名な例を挙げてみたい。

かつて、小保方晴子という科学者がいた。

 

科学において、「間違ったことを言う」ということは罪ではない。

絶対的な科学なんてものは存在しないのだから、本当にそんなルールがあったら全員何も発言できなくなる。

 

ただし、「分かっていて嘘を言う」というのは一応罪になる。

一応と言ったのは、嘘を言っても科学の発展自体にはどのみち無効であり悪影響は無いからだ。

ただ、間違いを暴いて訂正するのに余計な仕事が増えるというだけで。

(仮に間違いを暴けなかった場合は、それが正しい科学となる。)

 

そう考えるとかつて小保方が起こした事件は、科学の発展の面から考えればそう大した事件ではなかった。

にも拘らず、小保方晴子が絶対悪として唾棄されている理由の大部分に、「リケジョ」という概念を祭り上げて誤魔化そうとしたという点がある。

 

身も蓋も無い話をすれば、小保方は当時の理研という組織の中では一番の美人であり、「リケジョ」という概念を流行らせるためにプロモートされた。

(小保方自身はそんな立場を利用して何か野望を達成しようとしたりされたりしたようだが。)

 

割烹着を持ち出したり研究室で亀を飼ったり「ありまぁす」とか。こういうしぐさを見てかわいいと思ったり許そうと思ったりしたことがあるだろうか。

自分は全く無い。

 

 

2.「理系萌え」という悪意

小保方の例で分かるように、「かわいいは正義」をリアルで実行しようとするのは相当に無理がある。

でも、フィクションの世界ではそれが割と簡単に実行できてしまう。

 

事実として、「理系萌え」というのは、キャラクターの記号としては扱いやすい。

ステレオタイプが浸透している割には、ちゃんと調べて科学的に高度なことを言わせておけば陳腐感も出ないからだ。

先に述べた日本の学校の半数は理系だという点があるため、マーケティング的な命中率も高いからだ。

しかしその容易さのおかげで、科学の概念そのものを踏みにじってしまうケースが非常に発生しやすい。

 

理系萌えを表現する際には、確実に以下の要素が含まれる。

邪悪な点を順番に述べる。

  

①「分からないことを言っている」というミステリアスな雰囲気

例えば、英字新聞がデザインされたTシャツのように。

日本人にとってはそれでかっこいいかもしれないが、外人にとってはもちろんナニコレとなる。

 

フェルマーの最終定理」とか「フィボナッチ数列」とか。

高校までで習わない分野でカタカナ語が入っていれば確かになんかかっこよく見える。

そのセンス自体はまあ本物なのだろう。

 

しかし、それを科学に持ち込んでしまった時点ですべてが嘘になる。

だって、理解されない科学なんてものには何の正当性もないし価値もないから。

科学の世界においては、「説明が分からない」というのは説明している側の罪になる。

このルールが無ければどんな嘘だって通せてしまうから。

だからこそ科学は、より短い論理で・より多くのルートで説明ができるように日々開発されているわけだ。

 

「理系萌え」というのは、こんな基本的な原理にすら背いて、一時の「かっこいい」だけに酔ってしまっている。もうこの時点で科学的には正義なんてありはしないんだ。

 

 

②「~の話題になるとテンションが上がる」「スイッチが入る」

理系萌えを描く際には、必ず「その分野に対する異常な愛情」が描かれる。

誰が相手でも語り始めてしまう・周りの話を聞かない・街中でも突然議論を始める、といった描写。

 

断言するけど、これはそいつが幼稚で情緒不安定なだけだから。

こんな人間がまともなわけがないでしょう…理系の人間でも分かるぞ。

 

こういうキャラクター性は、現実世界の理系にも持ち込まれやすい。

理系の人間がそういうマイナス要素を必ず抱えているように思われてしまう。

そんなマイナス方向をわざわざ同居させるという手法を使ってまで、ギャップ萌えを強化している。そうまでして理系に萌えたいのだろう。

 

そんな狂った描写こそが美しい?

自分たちは「常人」の立場からからそいつを眺めてニヤニヤしたい?

現実の理系の人間に対しても、こういう役割を期待する人がいるよね。

氏んでしまえばいい。

 

以前の記事でも書いたが、「ガチなら許す」ってのは絶対にダメな判断基準なんだ。

周りが見えてない時点でもう何も正しくないのだから。

 

 

③その分野以外はからっきしであるというギャップ

「理系萌え」とされるキャラクターは、髪の毛はぼさぼさ・その分野以外のことはロクにできない、といったような描写が往々にして含まれる。

「完全無欠の天才」みたいなキャラクター設定である場合もあるが、そういう場合でも「何もないところでつまずいてこけたりするシーン」などは必ず入れたりする。

 

例に使って悪いが、冒頭で上げたガタガールという作品では「方言が厳しい」というマイナスポイントを入れて、これによって不器用さを表現していた。

方言が悪か?という話には議論の余地はあるが、少なくともこの作品ではマイナスのスパイスとして使用されていた。

 

で、恋愛も不器用なわけだ。

「理系萌え」を扱った作品では、必ずそういう要素を突っ込んでくる。

結局、主食は愛欲と性欲であり、科学なんてものはお飾りでありスパイスであったわけだ。

 

まあ、最初から恋愛が目的だったというのならば、そういう作品を描いたっていいだろう。

でも、それを表現するためにまず「理系」を貶めてから勝負を始めるというのはいくらなんでも邪悪である。

 

理系の人って、現実の社会にもたくさんいるんだからね?それも、日本の人口の半数。

そういう対象にマイナス描写を押し付けておいて、自分はそのギャップをおいしく頂くというのはちょっと下種すぎると感じる。

 

昔の記事でも書いたが、理系の人たちには髪がぼさぼさで話が分かりにくい人だってもちろんいるだろう。

しかし、それは理系萌えのために抱えた属性では断じてない。

 

 

3.こんな簡単なことにも気付かない奴に科学を担わせてはならない。

本当に度し難い事だが、こういった浅くて嘘だらけの「理系萌え」で、満足してしまっている理系の人間が大勢いる。

「言っていることが分からない・その分野以外はからっきし」というキャラクター性をガチで採用してしまっている者がいる。

もやしもん」「数学ガール」「ガタガール」を聖書だと喜んでしまう者がいる。

 

科学とは、目的ではなく手段である。

どんな科学だって役に立つ可能性があるからやっているのであり、ロマンだけで成り立っている科学なんてものは一つもない。

 

「理系萌え」を表現するという描写は、なんか数式をこねているだけだったり細胞分裂を見ていて恍惚としているだけだったりする。

どんなにロマンがあるといっても、単に美しいだけなら映画でも見ていたほうが美しいに決まっている。

なぜならば、現実の科学よりもフィクションの作品の方が制作の条件が緩いからだ。

そういう現実を無視して、細胞分裂に恍惚とする姿が描かれ、馬鹿にされている。

 

一つでも嘘を通したらその上に成り立つ論理は全部嘘になる。

こんな基本的で重大なことにすら気付いていない。

 

まあ、具体的な成果や現実を漫画にするのはとても難しいことではあるのだろう。

表面的な「理系萌え」だけを扱っていたほうが楽だし効果も高いからだ。

フィクションの作品ならば、こうやって誤魔化してしまうことが簡単にできてしまう。

そうやって現実を見ないのに理系を気取っている者が大勢いる。