愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

真の闘争のプロフェッショナル=武器屋のおっさん

 

自分は、学校や会社で人を教育した経験がそれなりにある。

そしてそれ以上に、人に教育された経験が多い。

学生をやってた期間が相当長かったし、年を取ってからも色んな先生の元で学んでいる。

 

だから、良い教師と悪い教師の違いが分かる。

師匠と弟子にはどのような人間関係が有効なのかを知っている。

 

前回は人に教育に関する記事を書いたので、今回も書いてみようと思う。

日本の企業においてよく行われている、職人気質の「見て盗め」という思想のクソさを解説する。

 

(なお、今回の記事は主に会社のOJTなどの少人数のことを指している。小中学校のように足りないリソースで大多数の人間を教育しなくてはならない場合は、別の手法が必要になるのでいったん除外する。)

 

 

目次:

 

 

1.教育という行為の強力さについて

自分は、教育とは以下のようなものだと考えている。

 

「知性と経験」によって人間と言う生き物が成り立っているとするならば、教育とは、「人間を作り出す活動」である。

教育をすることで、人間が材料も無しに無尽蔵に湧いて出てくる。

ちゃんとした教育をすれば、仲間がタダで手に入るのだ。

 

 

    もし君と僕がりんごを交換したら持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。

    でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。

ジョージ・バーナード・ショーという人の言葉をまた引用したが、情報と言うものは、人に渡すことによって、何故か増殖するのだ。

 

情報は、いくらコピーしてもコピー元は一切劣化しない。

情報を受け取る側は学習や理解のコストがかかるが、情報を発信する側はリスクなしで情報を増殖させることができるからだ。

 

情報とは、人間にとっては「武器」である。

知らない者よりも知っている者の方が有利で強い。

そしてその武器がタダで湧いてくる。武器を持った者があなたの味方になってくれる。

武器をもらった人が感謝してくれて見返りを払ってくれる。

 

教育とは、こんなに強力な手段なのだ。

小中学校でみんなが経験してきたような、「面倒くさい義務」などではない。

 

 

2.いわゆる「師匠キャラ」では不十分

しかし、教育によって情報がタダで湧いてくるといっても、情報を受け取る側にはいくらかの勉強や理解のコストが必要になる。

時間をかけて本を読んだり話を聞いたりする時間を取らなくてはならない。

 

教育は強力な武器であり、なるべく低コストで使えるようにしなくてはならない。

だからこそ、教える側にはテクニックや心構えが必要になる。

 

ここで今回の本題だが、人にものを教育する際には「師匠」ではなく「武器屋」にならなくてはいけない。

 

長年の経験から、自分はそう学んだ。

人に教えるときにはこれをやればほとんどの場合で上手く行くし、これができない者に良い教師は一人もいなかった。

 

「師匠」というキャラクターは、フィクションの世界では大体以下のようなものを指す。

・高い実力や深い知識経験を備えている

・厳しいが寄り添ってくれる

・最後には乗り越えるべき壁となってくれる

 こういうキャラクターならば、それはいい師匠ではあるのだろう。

 

これじゃあ、ダメなんだ。

こんな師匠では人に効率よく武器を渡すことはできない。

人にものを教える際には、「師匠」ではなく「武器屋」にならなくてはいけない。

 

 

3.武器屋の仕事はこんなに大変

じゃあ、その武器屋というのはどのようなものなのか。

今回取り上げる「武器屋の仕事」とは、以下のものを指す。

 

・モンスターに有効で、なおかつ売れる商品を見つけて仕入れてくる

・注文された商品を即座に取り出して装備させてくれる

・冒険者(客)に似合いそうな装備を見繕ってくれる

 一つずつ説明する。

 

 

「モンスターに有効で、なおかつ売れる商品を見つけて仕入れてくる」

教育という武器を使って倒さなければならない「モンスター」が、たくさんいる。

例えば、会社にいると次々にエンカウントする、「トラブル・製品開発・納期短縮・コストダウン」といったようなモンスターだ。

 

武器屋の主人は、どういった武器ならばそのモンスターが倒せるかを熟知していなければならない。

ここまでは簡単だ。武器屋の主人自身に戦った経験があればそれは判断できるだろう。

難しいのは、「買ってもらえる武器」を過不足なく店頭に並べなくてはいけないという仕事だ。

 

どんなに強力な武器であっても、価格が高ければ買ってもらえない。客が使いこなせないような武器は買ってもらえない。

どの武器を選ぶのかは、決めるのは店の側でなく客の側だ。

 

実際に良く行われる悪い教育の例として、例えば以下のようなものがある。

・「まずは基礎を身に着けないと話にならない」「睡眠と食事以外の時間は〇〇を毎日やれ!」

・「この本読めば何でも答えれるようになるよ」といって2000p越えの分厚い本を投げつける。

 

師匠は武器屋の主人である、という前提で考えれば、これがとても駄目な商売であることがすぐにわかるはずだ。

客は寄り付かないし売り上げは上がらない。無駄な在庫だけが貯まっていく。

 

市場は何を必要としているのか?

顧客はどういう商品を買ってくれるのか?

自分は何をどれだけ用意できるのか?

いくら儲けることができるのか?

人に正しい教育をするならば、実際の商社と同じようなことを考えなくてはならない。

 

崇高で難しい教育、すなわち「本物志向の商品」ならば高めの値段をつけることも可能だろう。しかしそれを売り抜けるにはブランドいう信頼と顧客側の教養が必要だ。

どの程度の武器ならばモンスターを倒すことができて、なおかつ安く仕入れて安く売れるのか?

こういった判断をギリギリまでしなければいけない。

優れた武器屋の店頭には、ハズレの商品は一つも置いてはならない。

 

 

「注文された商品を即座に取り出して装備させてくれる」

いい商品を並べて、その結果めでたく「この武器が欲しい!」と注文を受けたとしよう。

ならば次は、その商品をすぐに取り出して、客に装備させてあげないといけない。

「この剣はこうやって振るんだ!」「炎が来たらこの盾を構えるんだ!」ということをレクチャーしないといけない。

 

これが最初に言っていた、教育を受ける側のコストである。

教育を受ける側は、時間と手間をかけて勉強をしないといけない。

なのでこれは武器屋の店主としては知ったことのない話題で、客が勝手に試着してくれればそれでいいのだが、そんなサービスの悪い店は絶対に流行らないということは簡単に想像がつくはずだ。

 

いかに手際よく的確にその商品を試させてくれるのか。

たしかに顧客の側にも少しの動作は必要だが、そこに負担を感じさせないでいかに商品を買ってもらうか。

それが、武器屋の主人の商人としての腕の見せ所である。

 

 

「冒険者(客)に似合いそうな装備を見繕ってくれる」

店に来る客は、商品が分かっている玄人や顔なじみばかりではない。

駆け出しのひよっこの冒険者がたくさんくる。

というより、売り上げの大部分はこういう未熟な冒険者だ。

 

この店にはどのような武器が並んでいるのかといったことは一から説明しないといけないし、店の外ではどんなモンスターが出るのかというところから説明しないといけない。

「そもそも俺はどんな武器が使いやすいと思うのか」という問いを一緒になって考えないといけない。

 

一見さんお断りの店や不文律が多いような「厳しい店」で、買い物をしたいと思うだろうか。

「分かっている人だけが買え」すなわち「師匠の技を見て盗め」といったスタンスでは、顧客は永久に根付かない。

 

例えば、店に立派な本を大量に並べていても、資料としての価値があるだけで店としての価値は無い。顧客はそんな分かりにくい店で買い物をしたいとは思ってくれない。

どんなにいい商品をそろえたとしても、それだけで商売は繁盛しない。

買ってもらうためには正しい情報提供とセールストークが必要だ。

 

 

4.すでに商品の納入義務を負っている

以上のように、武器屋のサービスにはこれだけの価値がある。

ただ商品を並べただけでは店としては機能しないのだ。

 

200人の大教室で一斉に講義するのと、2~3人の学生に向かい合って教える少人数教育。

同じ内容の授業ならばどっちを選んでも同じだろ?なんてことは絶対にない。

世間の学習塾や予備校がこういったスタイルを武器にして商売合戦をしているわけだ。

ちゃんとした教育には、それだけの価値がある。

 

ここまで、教育を商売になぞらえた文章を書いてきた。

するとここで「俺はそこまでサービスをするような代金をもらった覚えは無い!」という反論が当然湧いてくるだろうが、それはほとんどの場合で通用しない。

 

なぜならば、代金はすでに受け取っているからだ。

会社の業務として、学校の教育として、自分が教えなくてはならない立場に立ったこと。

入社試験を突破してきた者が、生徒として筆記用具をもって着席していること。

この状況は、すでに支払いを完了していることを意味する。

 

だから、一刻も早く最安値で注文された商品を納入しなくてはならないのだ。

先ほどの話で「どれだけ安く仕入れ安く売れるのか?」と書いたが、誤記ではない。

もう交渉は確定しているので、あとはサービスを良くして顧客の満足を増やすことが命題になっているからだ。

 

(冒頭で述べたように、例えばもし学ぶ気のない学生が大量に来た場合や、教える義理が無い関係なのだとしたら、武器屋の例は必ずしも成り立たない。小中学校のように足りないリソースで大多数の人間を教育しなくてはならない場合はこれにあたるので、低サービスで大量生産の手法が必要になる)

 

 

4.「本当に勝つために必要な手段」に気付いたおっさん

・高い実力や深い知識経験を備えている

・厳しいが寄り添ってくれる

・最後には乗り越えるべき壁となってくれる

 先に述べたように、典型的な「師匠」というキャラクターはこういったものだ。

 

「師匠」でいるための仕事は、とても簡単である。

強いプレイヤーでさえあれば、それだけで大部分はクリアできる。

厳しくすればいうことを聞かせれるし、「寄り添っているだけ」なので教えるテクニックも必要ない。

最後の段階になってもただ普通に敵として戦うだけで済む。

 

師匠になるための能力は、プレイヤーとしての技術や強さ以外に必要なものは何もない。

だからこそ、単にその師匠がプレイヤーとしての人生を歩むのならばそれが一番効率がいい。

 

優れたプレイヤーと優れた指導者が違うように、武器屋と冒険者は違う。

武器屋は所詮、商人である。戦士ではない。

言ってみれば、試着室から出てくる客の前で跪いて靴を揃える職業だ。

古来より賤職であり、前線で剣を振るう戦士のほうがずっとかっこいい。

 

しかし、師匠よりも武器屋の主人のほうがずっと難しい。技術も知識も経験も必要だ。

良い武器屋でありながらも強盗に入られない威厳も必要になる。

 

社会を闊歩するモンスターどもから組織を救うには、プレイヤーの数を増やさなくてはならないという使命がある。

だからこそ、師匠は武器屋にならなくてはならない。