愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「相手の気持ちになって考えましょう」の前にやらないといけないこと

 

「相手の気持ちになって考えましょう」という思考方法がある。

 

自分が相手だとしたらどう思うかをまず最初に考える。

嫌だと思うことはやらない。嬉しいと思うことはやっていい。

 

このように考えて行動すれば、相手も同じ人間である以上命中率が高くて捗るぞという教えのことだ。

 

この思考方法は幼稚園や小学校のころから教育される。

それぐらい簡単で、なおかつ有効な思考方法だ。

たった一つの原理を教えるだけで、大多数の子供を安全な方向に制御することができるから。

 

しかし、教えられた原理がこれ一つだとすぐに矛盾が見つかる。

それこそ幼稚園児でも見つけれるようなバグがある。

 

「俺はいいと思ったから殴った」

「俺は明らかに嫌がっているのになぜ先生は俺を叱るんだ?」

例えばこういうものである。

これらは「相手の気持ちになって考えましょう」というだけでは絶対に説明がつかない。

 

こういうのを無理やり「でもこれはダメ!」と押さえつけることも問題だが、「相手の気持ちになって考えましょう」というのをゴリ押すのはもっと問題だ。

 

「私は何も間違ったことを言っていないのに、何であいつはできないのだろう」

相手の気持ちになって考えた結果、こういう傲慢な思考をする人間が育つ。

 

 

目次:

 

 

 

1.「他人のことをちゃんと考えました」というアリバイ

「相手の気持ちになって考えましょう」というのは単純で有効な思考法ではあるが、それだけでは明らかに不十分である。

なぜなら、相手の気持ちを考えるとはいっても、自分で想像するだけだったらいくらでも適当なことが言えてしまうからだ。

いくらでもサボることができてしまうからだ。

 

例えば、どこかでこんな結論を採用したことは無いだろうか。

「あいつ等は自分で望んでこれをやっているんだ!だから知ったことではない」

こんな言説。

 

現代で言えば、いじめられっ子・ブラック企業の従業員。

歴史的に言えば、市民で組織された特攻隊など。

この人たちは皆、この言説で正当化されている人たちである。

「相手の気持ちになって考えました」というアリバイだけで済ませてしまうと、いとも簡単に人を陥れることができる。

 

他にも、こんな例がある。

「こんな簡単なことなのになぜできないのだろう。あいつにとっても簡単なはずなのに。」

こういう思考を押し付けてしまっている状態。

「相手の能力は信頼しているんだよ」という無邪気な悪意が事態をより最悪にしている。

 

なぜそれが自分にとって簡単なのか?

相手にとっても簡単だというのに何か保証があるのか?

こういう思考をすっ飛ばして「相手の気持ちになって考えました」というアリバイだけを手に入れてしまう。

 

「相手の気持ちになって考えましょう」という考えは、これ単体では少なくとも味方に対して使っていい手段ではない。

 

 

2.一旦、自分のレベルを下げる

「相手の気持ちを想像して自分で考える」からダメなのである。

あくまで、「相手の気持ち」に考えてもらわないといけない。

 

だからまず最初に、「自分の気持ち」を「相手の気持ち」に合わせないといけない。

ぶっちゃけて言えば、相手と同じレベルにまで自分を下げないといけない。

逆に、相手の方がレベルが高いのなら、何とか形だけでもレベルを近づけないといけない。

 

この手順を飛ばしてしまうから、「相手の気持ちになって考えましょう」という思考方法が破綻する。

「相手がいいと思ったから殴りました」ということが通ってしまう。

「相手の気持ちを考えてやってるのだけど何故かダメだ」ということが事実になってしまう。

 

この「自分の気持ち」を「相手の気持ち」に合わせるという手順は、小学校では教えてくれない。

下手すると大学を卒業しても教えてもらえない。

 

ここで、価値観という言葉が必要になる。

学校の先生のほとんどは教えてくれない言葉である。

うっかり教えて生徒たちが勝手に別のことを考えてしまったら統率が取れなくなるから。

 

価値観と言う言葉が分かりにくいなら、「判断基準」という言葉の方が分かりやすいかもしれない。

何が良いと感じて何が悪いと感じるか。それは人によって違う。

 

「相手の気持ちになって考えましょう」という思考法は「相手も同じ人間であるから」という前提のもとに成立していた思考法であるが、いきなりそれが無効になった。

相手と自分は、肉体も脳味噌も全く別物なのだ。

 

相手のことを考えるためには、相手の価値観と自分の価値観を合わせないといけない。

相手の肉体や脳味噌なんてすぐにわかるものではないが、何とか一部だけでもよく観察してエミュレートしないといけない。

 

「共感を持つ」というのはこういうことだと思う。

 

 

3.他人を味方にする技能

例え実力がない馬鹿であっても、組織で下の立場にいる冴えない他人であっても。

彼らには彼らなりの思考がある。環境と人生がある。

これを認識してエミュレートできるようになると、人間関係はずいぶん上手くいくようになる。

 

もっと大げさに言えば、相手と同じ馬鹿にならなければいけない。

相手を味方につけたいのならば、この「馬鹿になる」というプロセスを絶対に踏まないといけない。

 

これを実行するのはプライドが邪魔をするが、それ以前に能力が必要だ。

教育者とか上司とか管理者とか、人の上に立つ人間・正しいことを言わないといけない人間にとっては必須の技能である。

 

だからこそ、実力や好奇心だけが強い人間にはリーダーが務まらないわけだ。

「相手の気持ちになって考える」という基本的で有効な手段を実行できないから。

大人数少人数関わらず、こういう人間は必ず組織の中で孤立してしまう。

 

まあ、組織のトップになって、普段話をするのは数名の役員達だけ。下々の者には目も合わさない、と言ったような組織が確立されているのならば話は別だが。