【絵師】能力者という自負・信仰【プログラマー】
このような記事があった。
ここで扱われているような「絵師に向かってタダで絵を描くことを要求する心理」を、自分はよく知っている。
なぜなら、「俺様は何でも絵が描けるんだぜ」といって喜んで絵を描くような人を大勢見てきたから。
まあ例によって、自分が実際に大勢見たのは絵師ではなく、学術や技術の分野のことだが。
少し前の記事だがこれと全く同じ現象が話題になっている。
今日はこういった記事で扱われている、
・「技術を持った者」(能力者)へ勝手な要求
・能力者に代金として支払われる信仰
・能力者になりたいと憧れてしまう心理
と言ったものを記述する。
目次:
1.能力者という神への信仰
最近、インターネットで「絵師にタダ同然でCGを描かせる事例」みたいなものがよく出てくる。
絵が可愛いくてなおかつチャンスに飢えてそうな絵師をPixivで検索する。
二束三文(あるいは無償)で絵を描かせてスマホゲーの材料にするケース。
あるいは、契約書もロクに取り交わさないで納品されたらドロンするケース。
なお、この手の搾取はフリーランスだけに限らない。サラリーマンでもよくある。
無思慮なリテイクを繰り返して「すぐ終わるでしょ?プロなら月曜日までに終わらせてよ」などと押し付けるケース。
あるいは、プログラマーに向かって「パソコンでちょっといじるだけでしょ?簡単だからタダでやってよ」などと言うケースも歴史が深い。
自分が知っている限り、こういった事例において「技術者がタダ」だと思っているクライアントはほぼいない。
・彼らは素晴らしい絵を描くことができる!
・彼らは高度な知識をもっていてプログラムを書くことができる!
このように、能力や経験に対するリスペクトは確かに持っている。
だからこそ「そんな簡単だと思うなら自分でやれやコラ」という反撃は通用しない。
「私たちはできないけどあなたはプロだからできるんでしょ?」
という論理の下で動いている。
こういうクライアントは、「技術者がタダ」だとは思っていない。むしろ手が届かないほど高価だと認識している。
そうではなくて、「技術力がタダ」だと思っている。
「そんな優れた技術者様ならばすぐに簡単にこなせてしまうんだろう?」
という(とても都合のいい)解釈を採用している。
神だったら杖を振るだけで何とかしてくれるものだと思っている。
優れた絵師ならば、何もないところからタダで絵を生み出せると思っている。
優れた技術者ならば、難しい問題をあっという間に解決して形にできると思っている。
そういった能力があるからこそ、能力者は素晴らしいのだと思っている。
「黒人は素晴らしいんだぞ!粗食を与えるだけでこんなに力いっぱい労働してくれるんだぞ!」みたいな頭の狂った白人のメンタリティ。
そしてこのメンタリティを「きちんと技術者を評価して活用できる素晴らしい経営者」みたいに称賛する文化がある。
彼らは、「なぜそれができるのか」という論理を考えない。
「~さんだからできる」という風に人で物を考える。それが彼らのOSだ。
なぜなら、「論理は難しいから分からん」という点はよく理解してしまっているから。
2.奴隷仕事を喜んでしまう中二病
彼らにとって、技術者とは「電車の定期券」みたいなものだ。
最初の一枚はとても高価で貴重だが、それを手に入れたのならばあとは使い放題というアイテムだと思っている。
一枚限りの「切符」ではなく、何度も使えて夢がある「定期券」。
そういう存在になるために技術者は人生を投げうって難しい勉強をしてきた。
…と、彼らにそう思われている。
そして、自分の方からこれを肯定してしまう技術者が大勢いる。
「俺様は何でも絵が描けるんだぜ」といって喜んで絵を描くような人が大勢いる。
「プロだからこれぐらいできるっしょ?」と一人で鎖自慢を始めてしまう奴隷が大勢いる。
俺は一枚限りの「切符」なんかではなく、何度も使えて夢がある「定期券」だ!と誇りを覚えてしまう技術者が大勢いる。
多くの技術者がこう考えてしまうには、いくつかの事情がある。
まず一つ目の事情は、そういった能力が「万能」であることが多いからだ。
例えば、絵を描くという能力。
紙と鉛筆さえあれば、どんな広い宇宙も描くことができる。
大勢の人間の心に深い感動を生み出すことができる。
こんな素晴らしいことが、紙と鉛筆と、自分自身が居れば達成できてしまう。
いやむしろ紙も鉛筆も必要ない。砂絵だって切り絵だってなんでもできる。
それだけ絵を描くという芸術は万能で素晴らしいものだ。
人類にとって強大な力である。そんな芸術を行使することができるという恍惚。
例えば、プログラミングと言う能力。
コンピューターという人間より遥かに強大な能力を自由に扱えるという才覚。
思いついたことはあれもこれも何でも実行できてしまうという興味。
現代のこの社会は、実際に金融だろうと軍隊だろうとコンピューターによって制御されている。
普段みんなが使っているゲームもスマホもパソコンも、全部プログラミングである。まさに無敵の能力である。
こういった能力を、若いうちから獲得している者は例外なく皆、こう考える。
・普段は冴えない僕でも、この力があれば逆転ができる。
・こんな素晴らしい能力が得意な僕はいつか天下を取れる。
そういった万能感。すなわち中二病。
「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるスタンド能力を想像してみればいい。
誰だって、中学二年生のころには「僕が持つならこんな能力」というのを妄想したことがあるだろう。
中学生にとって、絵描きやプログラミングのような「万能の能力」はスタンド能力に等しい。
万能であり、未来を切り開くことができる、周りのやつらとは違うアイデンティティ。
そしてここでもう一つ想像してみて欲しい。
例えばあなたが「東方仗助」だったとしたら。
ちょっと念じるだけで人でも機械でもなんでも一瞬で治せる「能力者」だったとしたら。
「スタンドでちょっと治すだけでしょ?簡単だからタダでやってよ」
こういった奴隷仕事を、引き受けてしまうんじゃないかな?
能力に誇りを感じて、内心喜んでしまうんじゃないかな?
以上に述べたように、未熟な技術者は「誇り」というワードにとっても弱い、というのが二つ目の事情だ。
中学生のころからこのアイデンティティだけで戦ってきたのだから。
だからこそ、奴隷の仕事でも喜んで引き受けてしまう。
3.中二病も貫き通せば天才扱い
このようにして、「能力者」は自らの能力に誇りをもって、奴隷みたいな仕事を引き受けてしまう。
万能で強力な技術を身に着けてしまったものは皆、多かれ少なかれこういう心理がある。
そういう心理を、誇りとか名声とかいうワードを使って、手玉に取られてしまう。
若いころから能力がある技術者ほどこういった罠に陥りやすい。
絵描きでもプログラミングでも、レベルの高いところに行けば行くほどこういう人間がゴロゴロ居る。
こういう人たちは、いわゆる「個性的で能力の高い変人」である。「天才」だとよく言われる。
「僕はこの能力で何でも切り開くことができる!」という状態のまま大人になってしまって、それを仕事にしてしまう。
本人も周りも天職だと思うだろう。
こういった天才たちは、「奴隷労働で能力を安売りすべきでない!」ということに死ぬまで気付けない。
しかし、「奴隷労働で能力を安売りすべきでない!」というスタンド能力に目覚めることはある。
「奴隷労働で能力を安売りすべきでない!」ということを論理的に考えて採用した者ではなく、あくまで常識としてカッコいいから「奴隷労働で能力を安売りすべきでない!」という論理を採用している者。
「正当な報酬を受け取らないと描かない!!」と断固決めているにも関わらず、他人がやっている仕事に「絵師として恥ずかしい」などという指摘をしてしまうタイプ。
自分が面倒な時には「工数と納期を明確にしろ!!」と息巻くが、自分がノっているときには無駄なコードをどんどん書いてしまうタイプ。
結局中二病にしか根付いていないから、いつも主張がちぐはぐになる。
ハッと気づいたように、好きな時に手の平を返す。
こういう人たちを、自分は大勢見てきた。