愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「説明を飛ばす」という手段の危険性

 

clacff.hatenablog.com他人にプログラミングを解説する際に、どんな罠があるのかを、前回の記事で書いた。

 

そのなかで、ものを教える際は、何より重視するべきものは「話す順番」と書いたが、

それは、人が人にものを教える際には、共通したルールであると考える。

 

そのことを、少し深く書いてみる。

 

 

1.どんなに難しいことでも、「正しい理解のルート」が既に一つはある。

人が人にものを教える内容は、決して簡単なものばかりではない。

一度で教えきれないものや、前提知識がないと理解できないものがたくさんある。

 

しかしどのような内容であっても、人が人に教える以上、一度は誰かが既に理解したことがある、ということは間違いがない。

 

例えそれがどんなに難しい学問や理解であったとしても、正解は既に決まっている。

プラモの説明書みたいなもので、正しい順番で根気よくやっていれば、必ずゴールにはたどり着けるようになっている。

 

逆に言えば、正しくまとめられていないもの、一義的な理解ができないものは、少なくとも科学ではない。それは、そもそも人に教えるような内容ではないし、そんなものは理解する必要もない。

 

だから、人が人にものを教えるを教える際は、何より重視するべきものは「話す順番」である。その通りの理解をしてほしいのなら、その通り以外の話をしてはならない。

 

 

2.「説明を飛ばすこと」は根本的に危険である

人にものを教えるには、完全に正しいルートのみを示す必要がある。

しかし、その正しいルートには、乗り越えるのが大変な「岩」が落ちていたりする場合がある。また、そういうルートは教える側にとっても、用意するのが大変だったりする。

 

そこで、教える側は、このような言葉を使う場合がある。

「ここは難しいから今は気にしないで」と。

 

このワードを使えば、教える側はすごく楽ができる

教わる側も、一気に次の段階にワープができる。

 

一見いいことづくめであるが、「前回の記事」で書いたように、これは理解する努力を否定する手法である。正しく自分の力で考えて納得しようという人間であればあるほど、このリスクは大きくなる。

 

 

「説明を飛ばすこと」は、決して初心者に対する配慮などではない

人間の知性に対する冒涜である、ということを、肝に銘じなければならない。

 

 

3.「それでも説明を飛ばしたい場合」の手段

教わる側の人間と、対等の信頼関係を得たいのならば、「説明を飛ばす」という危険な手段を使う前には、守らなければならないことがある。

 

「説明を飛ばす」という手法のそもそもの動機は、先述したように、大部分は「教える側が楽をしたいから」である。

別にこれ自体は悪いことではない。教える側がかけられる手間とコストには当然限度がある。教える側の楽と教わる側の楽は、イコールになる場合も多い。

 

また、「その場の理解よりも先にあるものの方が重要な場合」においては、「説明を飛ばす」という手法は有効だ。リスクよりも、リターンのほうが大きい場合はある。

もちろん「説明を飛ばす」という手法を選んだ場合は、「理解は結局できていない」というリスクは残り続けるが、それが大したダメージにはならない場合もある。

 

 

共通して言えることは、「教える側が責任を取らなくてはいけない」ということだ。

 

一度「説明を飛ばす」という手段をとるなら、「正規でないものを示す」のなら、そこから先はどのように誤解をしようとも、それは教わる側の自由だということになる。

 

だから、教える側は下手に出ないといけない。「今の自分ではこのような教え方しかできない」と。少なくとも、「分からないほうがおかしい」という主張だけは許されない

 

おそらく、人間の頭がものを学習するときは、自分自身にもわからないぐらい、当人の脳の中では、ものすごく多様で複雑な思考をしている。

しかも、その内容は一人一人で異なり、全員が一発で理解できる方法なんてものは存在しない

 

しかし、「誰か一人が理解できた方法」ならば、確実に存在する。

まずはそれを正確に示すこと。

それでダメならば他の方法を考えて確立すること。

教育とは、人の数だけこれを繰り返さなくてはならないのだと思う。

 

 

4.人にものを教えたり、教育をする意義

自分は、情報や教育が持つ素晴らしさとは、「渡してもなくならないこと」であると考える。

本やデータや他人の記憶に、無制限にコピーができる。

そしてなおかつ自分の持つオリジナルは一切劣化しない

 

人が見つけた理解や知識は、資源と手間の許す限りコピーし続けるべきである。

人が使える武器は、多ければ多いほど、強い。