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愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

科学の意義を間違えるという大罪

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先日、「なぜ科学を追求しないといけないのか?」というテーマについて記事を書いた。

clacff.hatenablog.comどんな細かいことであっても、役に立つ可能性がゼロでない以上は、追求し続けないと他の科学が成り立たないから、である。

 

例え金や産業に結びつかない研究であっても、科学を追求する行為には、このように明確な意味がある。

仕事であれ学問であれ、科学に携わっている者ならば、誰しもが答えられなければいけない事柄であると思う。

 

しかし、実際に「~なんてやって何の役に立つの?」と聞かれてしまった場合、多くのケースで間違った回答をしてしまう。

その場しのぎの言葉で、自分の科学の本質を貶めてしまう。

 

今日はこの内容を書いてみよう。

 

 

 1.間違った回答の例

例えばあなたが、毎日研究室でコツコツ研究を続けている物理学者だとする。

そして、誰かがあなたに「量子効果なんてわかったところで何の役に立つんだよ?」聞いたとする。

ここで、「あなたが持っているスマートフォンはそれがないと動きませんよ!」と答えることが、やってはいけない間違いだと主張したい。

 

 

1-1.解説

確かに、スマートフォンは量子効果を理解した技術の上で成り立っている製品である。そこは間違っていないが、先述したように、それは科学を追求する本質ではない。

 スマホを作るために物理学の研究が始まったのか?

スマホが作れなかったらすべて無駄だったのか?

もちろん違うだろう。

 

何よりも、この答えで最もまずい点は、相手側がスマホができる程度なのか。じゃあいいやと言えてしまうことだ。

「そんな役に立たないものやって馬鹿じゃねーの」という答えを、許すことになる。相手が科学の本質が分かっていないような奴であるならば、こういう答えは平気で出てくる。

 

スマートフォンなんて、10年後には廃れている可能性だってある。過去の歴史を振り返れば、いくらでもそういう例が出てくる。こんな一時のガジェットに、科学の意義を全て背負わせるのはどう考えても間違っている。

 

科学には本来明確で崇高な意味がある。それをうっかり「~に使うから」と言ってしまうべきではない。ゴールというか弱点を勝手に指定してしまった場合、そこが突破されてしまえば、もう終わりなんだから。

 

 

2.間違った答えを運用する罪

物理学の研究の意義を問われて、「あなたが持っているスマートフォンはそれがないと動きませんよ!」と答える悪手。

すなわち、それは「子供だまし」である。

子供に感づかれて否定されてしまえば、ぐぬぬとなるしかない。

 

自分が思うに、もはやこの社会においては、「立派な科学者がそうやって狼狽する姿」が、消費の対象になっている。

 

日常生活でもテレビの中でも、こういう姿は何度も見てきたはずだ。科学的な業績を残した人が、大衆の前に立たされると、必ずこういう役をやらされる。バラエティ番組でも、雑誌のインタビューでも、ニュース特番でも。

それどころか現実の対面のケースにおいてもだ。職場や学校でそういう偉い人に会ったとき、あなたや周りの人は、本当にその人を尊敬していましたか?

 

そのようにして、そういうテンプレートの科学者()が笑われて、もてはやされる。

それはある意味成功と言えば成功だ。注目も集まるし、研究費も人材も集まりやすくなるだろう。

 

そういう正義がまかり通った結果、科学の本来の意味を、とうの科学者でさえも説明が出来なくなってきている。

こんな世界だから、変人しか科学者になれない世界になってしまったのだと思う。

 

 

3.終わりに

今回の話は、別に科学技術に限った話ではない。職場でも、芸術でも、スポーツでも。

 

自分が命を懸けていることぐらいは、自分の意志だけで意義を説明できるようになろう。

 

この記事で本当に伝えたかったことは、せいぜいこれぐらいだったのかもしれない。