愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「ハイ論破」という言葉が未熟で中二病である理由を語る

 

「正論だけでは生きていけないぞ」とか、「理屈だけではダメだ」とか、そういった言葉を、人生においては何度も言われることになる。

正論だけを信じたがるその症状は、中二病の一種だ。

 

みなさんは、この病をちゃんと克服できているだろうか。

「正論で何が悪いんだよ」と強がる中学生に、大人が「正論だけでは生きていけないからだぞ」と答えるだけならば、その大人の価値はそこまでである。はっきり言って中学生と同レベルだ。

 

今日は、「正論で何が悪いんだよ」と言われた時に、ちゃんと正論で倒す方法を書いてみる。

 

 

目次:

 

 

 

1.解答解説

まず結論から言えば、「正論」は100%の正義である。

そこには毒や罠など一切含まれていない。

当人が「人体が判断できる経験則を積み重ねることで真実を構築する」という進化の方式を採用しているならば、「理屈こそが正義」である。

中学生がほざいている「正論で何が悪いんだよ」というのは、別にそれであっている。

「正論だけじゃダメだ」とかいうのは完全に戯言だ。正論だけじゃないとダメである。

科学も技術も宗教も、あらゆる人間の知性や経験則は、すべてこのように作られている。

 

にもかかわらず、正論だけでは勝てないのはなぜなのか。

答えは、その正論を上回った正論がすでに出てきてしまっているからだ。

  •  「勝てるけど、勝った後にどうするのか」
  • 「理論では両方勝っているけど、じゃあこれからどちらを採用するのか」

正論で勝った後には、すぐにこのような話がスタートするからだ。

もうすでに、一つの正論は終わって、次の正論が始まってしまっているからだ。

 

 

2.なぜ正論を「中二病」と呼ぶのか

一例を挙げよう。

togetter.com先日、このような胸糞記事が話題になった。詳しい話の内容は上記のリンクを見てほしい。

 

この事例でいえば、「悪いのはどっちだったのか」といえば、それは当然嘘をついている妻のほうなのだ。

それがここでいう「正論」であり、これぐらいのことは中学二年生でも簡単にわかる。

 

だが、実際には話はここで終わらない。まあこの記事に限れば、他人の夫婦喧嘩を見ているだけだから、後は無視しといても問題ないともいえるが、自分自身が当事者となってしまった場合は、一つの正論だけでは終わらない。

 

嘘をついたのは妻のほうだった。それは分かった。ならば

  • 「じゃあその代償をどうやって払うのか」
  • 「それでコートは結局どちらが買うのか。それとも買わないのか」

当然こういった話に発展する。この段階においては既に、妻が嘘をついていたという件については、「ごめんなさい」だけでもう済んだ話なんだ。

裁判と同じで、有罪判決を出したらそれで終わりではない。処分と罰則を決定しないと何も話が完成しないのだ。

 

先述したように、理屈は正義だ。正論こそがすべてだ。そこまではいい。

だが自分が勝っている地点で考えを止めてしまったら、そりゃ絶対に負けるわけはない。

 

自分のお小遣いでナイフを買って、「大統領でも朝青竜でも俺が刺せば死ぬしwww」と嘯く中学生。

それは事実だ。確かに大統領も朝青竜も、刺せば死ぬ。それであっている。

「そもそも刺せるわけねーだろ」という話も、一旦は無視できるだろう。「刺したら殺せる能力の有無」という話なら、確かにこの中学生の主張は正しい。

 

だが、そこまで考えたところで、すでにもっと大きい刃物が迫ってきているんだ。

  • 「刺して殺したところでどうするの?」
  • 「大統領の方だって君を刺せるけど、この場合どっちが勝ちなの?」

その場の能力でちょっと勝ったぐらいでいい気になって、自分が最強だと思い込む。そこで歩みを止めてしまって、これ以上の正論に気付こうとしない。

だから、中二病と言うんだ。

 

 

3.中学生レベルの大人たち

以上、「正論」が持つ正しさと、中学生の未熟さを解説した。

「より高い正論を求め続けること」。これが中二病の処方箋である。

あらゆる科学は「余地があるから」研究しているように、正論は求め続けることによってのみ、初めてその正義が保証される。

 

それに気付いて自分の中で理解した時こそ、中二病を卒業できる。

というか、本来は15歳ぐらいになればみんな気付いて卒業できる程度の試練だから、中二病と呼ばれている訳で。

 

しかし社会にはこれに挫折した人が非常に多い。

「正論だけでは生きていけないぞ」とか、「理屈だけではダメだ」という考えに屈服した人が、偉い大人の中にも大勢いる。

 

端的に言えば、中学生レベルのままで大人になっている。

「大統領でも朝青竜でも俺が刺せば死ぬしwww」と言っている中学生そのものであるが、さらに醜悪なことに、同時にそれでは勝てないことも、大人として覚えてしまっている。

ヤクザや警察のような、「自分のナイフで勝てない相手」は覚えていて、それからは目を背けて見ないフリをする。

一方、親や後輩などの身近な人にはそのナイフを見せびらかして、「俺を怒らせたらお前負けるよ?」と強がる。

 

これは害悪だ。

自分が勝てない世界はアンタッチャブルとして、自分の勝てる世界だけを保持し続ける。

せっかく正論を作り上げたのに、「自分が勝てないという真実を認めない」という嘘をついている。

その嘘を正論に含ませてしまった時点で、もうその正論はそこから成長しなくなる。

これが中二病を克服できなかった大人の姿である。

 

futoase.hatenablog.comこの記事で述べられている、「自分が詳しい技術だけでマウンティングをする先輩技術者」が、まさにその中二病を卒業できていない大人の一例だ。

 

今やっていることに技術的な問題点があることまでは正しいだろう。しかし、「じゃあ今のを止めてその方法を採用するべきか?そのコストは?」といった話には絶対に踏み込もうとはしない。

自分が勝っている地点で考えを止めてしまったら、そりゃ絶対に負けるわけはない。

 

奴らはそうやって、自身の正義を維持してきた。

こんなんだから理系はキモいって言われるんだよ。