愛と怒りと悲しみの

とある理系サラリーマンのばら撒き思想ブログ

「反例を必要としない人たち」の思考と生き方

 

「A=Bでないこと」を証明するためには、それの反例を一つ挙げればいい。

あらゆる科学には反証可能性が必須であり、見えている土地すべてを反例で埋め尽くすことによってのみ、残った部分が真実として確定される。

 

人類の知恵は全てそうやって積み重ねられているはずだが、その方式を採用しないで生きることを選んだ人たちがいる。

 

例えば、スーパー戦隊シリーズでは女性がリーダーになったことがない!これは差別だ!」などと言っている人がいたとする。

 

というか、実際にいた。戦隊じゃなくて仮面ライダーの例だが。

togetter.com

ツイッターの界隈ではこの手の主張をしている人は良く見かける。

 

今日はこのケースを使って、「反例を必要としない人たち」のことを書いてみる。

 

 

目次:

 

 

 

1. 詳しい解説

スーパー戦隊シリーズでは女性がリーダーになったことがない!」と言われたところで、実際には全くそんなことはない。明らかに反例はある。

忍者戦隊カクレンジャーでも、未来戦隊タイムレンジャーでも、リーダーは女性だった。

また、(別にレッドがリーダーであるとも限らないが)侍戦隊シンケンジャーでは女性がレッドになった例もある。

 

同じく日曜朝にやっている仮面ライダーでもそうだ。

女性の仮面ライダーは今やたくさんいるし、設定上だけならば1975年の仮面ライダーストロンガーから存在している。

 

別にこの程度のことは、オタクめいた細かい知識を出すまでもないことである。ウィキペディアでちょっと調べれば誰でも簡単にわかる。

 

しかし、「これは差別だ!」と言われたら、確かにそう解釈できる事実もある。

スーパー戦隊の初期メンバーで女性が過半数を超えたことは一度もないし、第一話で出てくる主役ライダーが女性だったことも一度もない。

 

そして、もし仮にそういう女性キャラが登場するとしたら、東映バンダイも間違いなくそれを「珍しい材料」としてアピールする。

マーケティング上、戦隊や仮面ライダーは男の子向けにしたほうが売れるという、統計的な確信があり、視聴者のほうもそれを求めている。そういう事実は確かにある。

 

 

2. 彼らの方式

スーパー戦隊シリーズでは女性がリーダーになったことがない!これは差別だ!」と叫ぶ人がいる。

スーパー戦隊の女性がどうだとか言う話はただの一例であるが、この手の主張をする人間は、もっといろいろな場面で見かける。

 

例えば、「オタクは犯罪者だ!ペドフィリアは犯罪だから処罰するべきだ!」といったような主張。少し前にこのような記事が話題になった。

togetter.com

 もっと簡単なところでは、「日本では殺人のような凶悪犯罪が増加している」みたいな話もそうだ。統計的にはとっくに嘘が暴かれているのに、いまだに根強く支持されている。

togetter.com

 

「日本軍はひどいことをした!反省しなければならない!」も、手法としては同じだ。これは正直探すのも面倒なぐらいたくさん聞くから、記事は貼らないけど。

 

彼らは、正論が通じない人たちである。しかし、正論を理解しなくてもいい生き方を選んだ人たちだともいえる。

彼らは全員、滅茶苦茶なことを言っている。しかしそこには、確固たる意志がある。

彼らは実際のところ、馬鹿ではない。むしろ高学歴だったりする。

指摘された事実は、わかっていないはずはない。

 

彼らは事実と戦っているのではなく、イメージと戦っている。

現実ではなく、イメージが憎いから戦っている。

イメージは幻想ではなく、確かに存在している。自らの心の中に。

 

反例を挙げて倒せるのは、人が書いて記録した理論だけである。

理論は経験でできているから、反例で倒すことができる。

しかしイメージは、自らの心の中にいるから、外部からでは決して倒すことができない。

本気の感情論を理論で倒せるケースなんて、普通無いでしょう?

 

その証拠に、彼らの側からの反論というものは全く出てこない。

「デタラメ言ってんじゃねぇよ」と指摘されても、その場を逃げて納めるだけで、ほとぼりが冷めたらまた同じ主張を始める。

デジタルディバイドもあるのだろうが、彼らが論理的な言い分を出しているのを見たことがない。なぜなら最初から論理なんかで動いていないから。

「嘘だというのなら証拠を出してみろよ」という手法自体が、彼らの文化とは異なっているんだ。

理論なんてものは元々、その当人の理性に「お願いして採用してもらう」しかない程度のものだ。

 

 

3. 「嘘を通せる強者」の世界

彼らの生き方は、いつも引用しているこの記事で説明される。

clacff.hatenablog.com

 理論ではなくイメージを信じて生きることは、すなわち愛を信じて生きること。

他人(や自分)がどう感じているかが重要であり、事実などはどうでもいい。

理論や経験則も、どうでもいい。今現在、他人や自分が何を感じているかだけを判断して生きる。

 

彼らが採用しているのはこういった生き方だ。

こういう人種に対しては、通常の歩み寄りは不可能だと考えたほうがいい。

 

人体の判断力を運用しているOSからしてすでに違う。

このOSは、機能が制限される代わりに、マシンパワーが足りなくても軽快に生きていけるという特徴がある。

すなわち、自分の頭が弱くても、他人の感覚に従って生きていれば、(現代の豊かな社会でなら)自由に生きれて飢えもしない。自分の勝手な感情も生かすことができる。

現代社会においては割と理想的なOSかもしれない。

 

結局は、人間の意識の違いなのだろう。人間の能力の違いなのだろう。

頭を使って自分で納得しなければならないことを、途中で放棄してしまった人たちなんだろう。

 

このOSがシェアをとった市場においては、すべての事実は反故にできる。

例えばもし仮に、次のスーパー戦隊が「女性4人、ホワイトだけが男性、追加戦士も女性」みたいな構成だったとしよう。

 

こういう事実が仮にあったとしても無駄である。

「女性がメインのスーパー戦隊が42年の歴史で一つだけしか存在していない!」

「映画の過去作品オールスターでは男性ばかりしか出てこない!」

「過去のほかの戦隊に比べてグッズの売り上げが芳しくない!差別だ!」

 などと言い始める。

 

もともと、イメージだけを判断の基準にしているから、どんな理論や事実があろうと、好きなようにしか解釈をしない。

さすがにここまで馬鹿ではないって?

実際に彼らは、上記の女性戦隊に対する差別と同じレベルのことを言い続けている。

太平洋戦争が終わってから70年は経っているのに、「日本軍は反省を!」とか言っている人がいまだにたくさんいるでしょう?

 

感情論ならば、例えどんな話でも有効性をもって通せてしまう。

そして、イメージなんてものは簡単に作れてしまう。バカが多ければ多いほど。

 

それは恐ろしい社会であるが、強者にとっては居心地の良い社会だ。

声が大きい者、手駒が多い者、あるいは、嘘を通されても実害がない立場である者。

そういったものが得をする社会になっている。

 

「嘘をつく権利」が、流通して消費される世界である。

石油資源の消費や、地球環境問題のように、根本的な解決は何もなされていないのに、目をつぶる能力を行使しあっている。

 

「こういう社会でも俺は構わない」というのが、多くの人が採用した答えなのだと思う。