志望動機に「給料」と書いてはいけない理由を、考えた。
2017年度の採用活動が6月から始まるというのは、経済産業省の願望である。大本営発表が見せる幻影である。
少なくとも、採用する企業にとってはそんなこと割と知ったことではない。自分の会社も、年中通して採用者確保のために走り回っている。
人はなぜ、企業で働くのだろうか?
それは個人が信念として持っていれば十分であり、答えなど存在しない話題である。
社会に貢献するためだの、自分が楽しむためだの、哲学めいた答えは色々ある。
人の考え方は多様であるし自由であろう。
しかし社会は、「金のため」という答えだけは、何故か許していない。
志望動機に「給料」と書いてしまうと、必ずハネられる。
自分が会社員になってもうずいぶん経つけど、会社の側から、この矛盾の回答を聞いたことが一度もない。
だから、自分が考えてみた。
目次:
1.逃げられない禅問答
志望動機になんて書こうか。「給料」って書いちゃダメだよね。
日本の大学生はみな、就職活動をするときに、このようなことを本気で考える。
そして、各々で何らかの答えを色々考えて、結果的にごまかして突破する。
そうやっていざ会社員になってしまえば、そんなことは意識せずに日々の仕事に追われるようになる。むしろ会社員だからこそ、こんな禅問答に付き合わない特権を勝ち取っているのであり、今になって同じ問いをされたらまともに答えられる人などいない。
なぜならば、大前提として、これは答えなど存在しない問題だからだ。
見返りを伴わない仕事など仕事とは言わない。仕事なら金のためにやっているに決まっている。
別に、「給料以外の志望動機を教えてくれ」という話ならば、いろいろ出てくるだろう。
居心地がいいとか、自分が得意そうだとか、善行をしていい気分になりたいとか、そういった理由を次々答えることができる。
ちゃんと聞けばいろいろ答えてくれるにもかかわらず、就職活動をする大学生にこんな負け確のクソ禅問答を強要する。大学生は、この問いからどうやって逃げるか、どうやって誤魔化すかだけを本気で考える。それはそれで思考力を鍛えるトレーニングにはなっているのかもしれないが。
なお実際のところは、一度就職してしまえば逃げ切れる問題でもない。
転職するときにはもちろん聞かれる。給料が理由に絡んでいない転職者なんてほぼいないはずだが、この無理ゲーをもう一度突破しないといけない。
転職しなければ安心というのも幻想だ。社内での昇進試験や、上司とのカウンセリングでももちろん聞かれる。
「給料が低かったらこの仕事やってないの?」とか、「同じ給料を出す会社はほかにもあるでしょ?」とか、こんな幼稚な論理を武器として使う大人は、大勢いる。
2.会社が抱えている本当の事情
“志望動機に「給料」と書いてはいけない”というルールは、前提が矛盾した禅問答である。
いや、むしろ禅問答のほうがよほど良心的だ。仏教の禅問答は新しい概念に気付かせるための対話であり、決して後出しジャンケンでプゲラするための道具などではないから。
なんで企業がこんな禅問答を使用するようになったのかと、企業の側に立って考えてみた。
おそらく、「社員にあげられる給料には限度があるから」という事情があるように思う。
企業が社員にあげられるもので、一番明確なものは“給料”であるのは間違いない。
だから、それで満足してくれる人でないと、怖くて社員にできないのだろう。
そして、給料だけが欲しいと言っている社員だと、“どこまで昇給しなければならないか?”という議論にきりがなくなってしまうからだ。
人の要求というものは、長くいればいるほどエスカレートしていく。
給料だって最初の手取り14万円でずっと満足し続けてくれる人はいない。給料は上げなければならないが、企業が払える給料には限度があるため、その要求にこたえられなくなる日がいつかは必ず来てしまう。
別にただの取引先の一つだったら、値下げ交渉もできるだろうし、気に入らなければ乗り換えだってできるだろう。しかし、何十年も雇う正社員の場合は、そうもいかない。
なお、長くいればいるほど要求がエスカレートするという話は、金に限ったことではない。達成感とか知識欲とか、そういう内容でも同じことが起こる。
給料を上げすぎて会社が破滅するまで飼い続けるか。
それとも、達成感を求め過ぎて社員が愛想を尽かすまで飼い続けるか。
この二者択一ならば、後者の方が多分会社は損しないし、まだ御しやすい。
3.面接ですら正しい言葉で向き合えない
企業は、自社に正社員を迎える際に、“満たされてくれる人じゃないと取りたくない”と考えている。
突然離反されたり反乱起こされたりしたら困るし、普段の仕事においても、満たされてくれてないと向上心などが得られないのだろう。
正社員を採用する企業には、おそらくそういった心理が働いていると考える。
しかし、採用する側がその心理に向き合おうとしない。
自分たちがあまり給料をあげることができない、という事実に目を背けている。
その状況に、“金儲けは悪だ”という儒教的な精神が重なって、意味の分からない思想が出来上がっている。
そうやって結局は、形骸化された禅問答を続ける羽目になるのだ。
ツンデレを拗らせすぎて企業の側も元々の理由を見失っている。
満足してくれる社員が欲しいくせに、“給料以外に何をあげれるのか”ということも答えようとしない。
「給料が低かったらこの仕事やってないの?」とか、「同じ給料を出す会社はほかにもあるでしょ?」とか、こんなバカげた問答をやっていても何も気付かない。
「君は金が欲しいからと言っているけど、うちの給料は手取り14万だよ?それでもいいの?」ちゃんとそうやって聞けばいい。それでいいと言っているなら、採用すればいい。
別に達成感とか知識欲とかの別の概念に頼ったところで、結局は破滅するまでエスカレートするというのは同じなのだ。
正社員のスタートの第一歩を、嘘で固めてしまうことのほうがよっぽどリスクが大きい。