【回答済み】なぜ日本の企業では長時間の労働をしなければならないのか
日本の現在の法律では、一日の労働時間は8時間とされている。ひと月では160時間である。
それ以上の労働は超過労働であり、25%増しで給料を払う必要がある。
そして、その超過労働は月45時間を超えてはならない。
業務上どうしても超えてしまう場合は、雇用者本人と協定を結ばなければいけない。
一応そういうことになっているが、こんな風に働いているサラリーマンなど、まずいない。
通勤に片道1時間かかる人が、朝8時に家を出て、家に帰ってくるのが夜7時であったならば、その時点でアウトになってしまう計算だ。
あなたやお父さんが夜7時に家に帰ってきたら、「そこそこ早いし普通の帰宅時間だな」とか、「こんな風にちゃんと帰れる職場でよかったな」とか、そう思うでしょう?本当はアウトなんだよそれで。
上の記事でも述べられているように、元をたどれば「一日8時間」というのは、100年前に作られた経験則でしかない。1日の三分の一ということでキリはいいが、その数値自体は特に正義はない。
そもそも時間で区切らなければいけない理由もない。時間だけで成果が決まらない仕事だってたくさんあるだろう。
何故日本では、非効率で長時間の労働をしないといけないのか?
その理由自体はもうとっくに語りつくされているので、今日はそれを今一度羅列してみる。
そして本当に求められている労働力と、その社会を変える手段についても考えてみた。
目次:
1.労働の効率が落ちる理由一覧
日本の企業が、無駄な労働を強いるようになったことには、いろんな理由があるのだろう。
togetter.comこの記事に、よく出る理由は大体まとまっていたので、抜粋してみた。
- パソコンも携帯もなかった時代の仕事を基準にしているから
- 新しい手法を学ぶ余力は落ちていく一方で、学ぶべき内容は増え続けているから
- 下請けが無茶な納期で仕事をさせられるから
- 組織が大きいゆえに、一管理者が責任を取れなくなってしまったから
- なんだかんだで裕福であり、本気にならなくても食っていけるから
- 生存者バイアス。無茶な労働を生き残ってしまった者が権力を持ってしまったから
- 過去の自分の苦労を味わってほしい、という心の弱さがあるから
- 仕事以外の人生を知らないから、長時間労働上等という思想があるから
- 労働時間以外の、様々なパワハラ問題との複合効果から
- 労働時間はキツくないが、昔と違って無報酬なのがキツいから
- コンプライアンスの基準は厳しくなったが、取り締まってくれる機関が働かないから
- 周りの企業もみんなそうなので、検挙される可能性が減り、やる必然性も増えるから
これらはすべて、正しい意見なのだと思う。
「バブルの思考を引きずっているから」という意見があげられることもあるが、これはおそらくそこまで関係しない。バブルなんてせいぜい5~6年しか持続しなかったのだから。
そのバブルの時代でも、高度経済成長期の50年前でも、過酷な労働環境で自殺する人はたくさんいた。
別に、これらの話は今に始まったことではなく、「最近の若いもんは~」という記述がなされた文書は、明治時代どころか平安時代にすらある。それこそ有史以来続いていることで、古代エジプトの壁画にすら、こういった労働者の話が書いてある。
人間の未熟さとクズさは、太古から続く、人体の本質的な機能である。
こうやって、悪い環境で緩やかに思考停止していくこと自体を、人体の本能は望んでいる。
労働者も人間であり、それを雇用して管理する側も人間である。
真実を指摘したぐらいで改善されるのならば、こんな古くからは続いていない。
2.会社が本当に欲しい労働力
togetter.comいつかの電通の過労死の問題において、次のような意見があった。
日本の企業は生産性が低いと言われるけど、それはなぜかというと「より少ない労力で効率的に成果を出す」という発想が「怠け」として批判され、「より多く労力をかける」ことがエラいみたいな風潮があるから、だれも効率を上げる工夫をしなくなるんだよね
なぜ「効率を上げた新しい手法」が評価されないかという理由も、先の一覧で説明がつく。
つまり、以前の労働方法の歴史が長く続きすぎて、古い方法を撤廃する信頼性のリスクが大きくなりすぎているからだ。
新しい方法をちゃんと精査すれば絶対いいに決まっているのだけど、それを判断する余力が続かなくなっているからだ。
しかし、日本の企業もそこまで馬鹿ではなく、「単に労力をかけていればそれでいい」なんて発想をする人間は、ほとんどいない。
管理者だって、その上の人間に管理されている存在であり、単に労力をかけているだけでは「もっと成果を出せ」と、日々詰められる。
つまり管理者が本当に欲しい労働力とは、「二倍の効率で二倍の時間働いてくれる人」である。
今までは、1倍の効率で2倍の時間働く人ばかりだった。そこに、2倍の効率で1倍の時間働く人が現れたとする。
管理者の側からすれば、「じゃあその2倍効率でみんなと同じように2倍の時間働いてくれよ」って思うだろ当然?
別に2倍の効率を貶しているわけじゃあないんだ。
地球に危機が迫っているんだから、「スーパーサイヤ人もいいけど界王拳も使ってくれよ」って誰しもが思っただろう?*1
速度が倍か、時間が倍か。
どちらかしか選べないなら、記録に残りやすい時間の方をみんな選ぶし、会社側もそれを期待する。
2倍の効率で1倍の時間働く人は、評価の面ではプラマイゼロである。
いやむしろ、「新しい方法を精査する余力」を加味するとマイナス側に動く。
つまりはそういうことだ。
3.このような労働環境を変革する手段
こういうたとえ話がある。
昔の人間は天動説を無意識に信じていたが、ある日、観測と理論によって地動説を主張した異端の者が現れた。
現在では、天動説を信じている者はいなくなり、みな地動説を当然のものだとして信じるようになっている。
これは、地動説側による粘り強い説得によって成しえたことではない。
単に、天動説を信じる古い人間が、みんな寿命で死んだからだという。
「証拠は明らかだけどそれを信じてもらえない時代」というものを終わらせるには、とにかく待つしかない。人間の寿命が関わる、何十年かのスパンにおいて。
しかし今権力を握っている50代以上が氏ぬまでには30年以上はかかる。平均寿命は延びているし、死にたくても死ねない社会になっている。安楽死のルールが出来るのならまだ期待できるのかもしれないが。
現在苦しんでいる労働者で、そのなかでも正しくものを考えて訴える人間は、ガンダムで言うところのニュータイプなのだと思う。
能力に多寡があるところも、即時的に役に立つ超能力でないことも、結局は体制に利用される道具であるところも。
今日の労働問題のような、「新しい人間と古い人間の対立」は、30年前のアニメの題材にされるほどには、本質的でわかりきった問題であった。
ニュータイプへの覚醒で人類は変わる。そのときを待つ!
クワトロ大尉がZガンダムでそう言ってた。
今の人類は、少なくとも古代のエジプト人よりは進化していると思うんだ。
ここ100年足らずで、人類の科学も思想も加速度的に発達している。
もしかしたら、30年を待たずとも、人類はいい方向に進化してくれるのかもしれない。
それが待ちきれないのなら、テロリズムぐらいしか手段はないのだろう。
例えばゴルゴを10万人雇って、社会で権力を握る老害を片っ端から粛清するしかないのだろう。
逆襲のシャアみたいに。
*1:後付け設定で「併用はできない」ということにされたが