【少年漫画】相手の自信を折れば強く育てれる【読みすぎ】
このような記事が話題になった。
「詐欺師症候群」という言葉は、医学的に認められた症状ではないが、最近になって作られた言葉でもない。1972年から存在しているそうだ。
「詐欺師症候群」って、日本においてはかなりの割合の人が、多かれ少なかれ身に覚えがあると思う。
何か成し遂げたら「それが当たり前」と言われる。自信を持ったら「上には上がいる。つけあがるな」と言われる。学校教育においてこういう言葉を必ず聞かされるからだ。
他人の「自信を折る」ということには、どういった意味や効果があるのだろうか?
自分の考えを書いてみる。
目次:
1.「自信」とは、何に使用するものなのか
自信という言葉は、自分を信じると書く。
自分を信じて何になるかといえば、「自分自身に対する理解」が確かめられることであろう。
自分自身を理解するということは、自分自身が意思や行動を決定する力を意味する。
どんな小さな行動であっても、自分に自信がなければ、自分の意志では行動できなくなる。
別にこれは、あいまいな精神論などではない。
例え理数科学であっても、人間が作成して運用している以上は、確実にどこかで「信じてエイヤと踏まなくてはならない部分」が存在している。
「分子は原子の集まりである」だなんてことは、誰も保証などはしていない。
「1+1は2である」というのは、人間自身が勝手に決めたことだから正しいのかもしれないが、それにしたって「この文言を見た人間全員が、今まで全部計算間違いをしていました」という可能性がゼロだとは断言できない。
どんな理論や科学も、その中身は「そう信じるならばこういう結果が導かれる」という例を組み上げた集合体でしかない。
人間が行うすべての思考や行動は、「信じること」によってのみ確定される。
自信は、自分が思考をして生きていくためには絶対に必要なものであり、仕事にだってもちろん必要だ。スポーツ選手や創作の分野だけではなく、本当に自信を奪ってしまうと、ただのデスクワークはおろか刺身にタンポポを乗せる仕事すら成り立たなくなる。
自信とは、「折るべき天狗の鼻」などでは断じて無い。
2.「挫折が人を強くした」という例を挙げよ
自信とは、人間が生きて行動をしていくうえでこんなにも大事なものなのに、他人の自信を砕くことで悦に浸るような悪趣味な人間が、多く存在している。あろうことか、教育機関や企業の上層部に。
「挫折させれば強くなる」などという思考は、少年漫画の読みすぎだ。
いや、この記事のタイトルにもそう書いたが、本当は違う。少年漫画の内容すら正しく読めていない。
いくつか古典的な例を挙げてみよう。
例えば原作8巻の時点で、初めて悟空を完璧に負かした桃白白@ドラゴンボール。
この例では、悟空が「今の自分より強い敵を倒さないといけない」と認識し、即座にカリン塔へ修行に向かっている。
これは次の展開に必要な情報が開示されただけの例であり、そもそも挫折などしていない例だ。
あるいは、傲慢な心から下半身不随になり、そこから這い上がるためにレースに参加したジョニィ・ジョースター@スティールボールラン。
挫折がジョニィを成長させたというのは結果論であり、最初から挫折がなかったら、こんな冒険はそもそも始まっていなかった。
「ただマイナスからゼロに戻りたいだけなんだ!」と作中で何度も言われている。
後有名な例としては、独房に入れられて「僕はあの人に勝ちたい…!」とこぶしを握るアムロ・レイ@機動戦士ガンダムだろうか。
あのときブライト達は、アムロが現状持っていた自信を折るために独房に入れたのでは断じてない。チームワークを乱した罪、ガンダムを勝手に持ち出した罪に説明をつけるために、独房に入れた。
云わば、「よけいなことする」という悪い自信を折ったという処置であり、元々あった自信を折ってどうこうしようという目的ではなかった。アムロが独房から出た後だって、「余計なことをしても失敗しないようになった」なんてわけでも全くない。
以上、パッと思いついた有名な例をいくつか挙げたが、「挫折したから強くなった」という例は、少年漫画においてすらあまり無いように思うんだ。
間違った自信を折ったことで強くなった、という例はあるが、折ってはいけない自信が折れてしまった場合は、確実に最悪な結果になっている。そのマイナス状態から頑張ってようやくゼロに戻った、という物語になる。
まあより高次的な話を無理やりすれば、挫折という特殊な精神状態と、戦っていないという時間と作業の余裕が、何か役に立つことを生み出すということはあるかもしれない。落人群で落ちぶれた剣心@るろうに剣心なんかはそんな例だろう。
獅子は千尋の谷にわが子を突き落すという逸話があるが、これは美談ではない。間引きだ。
ただ落とすだけでは危険な思考停止でしかない。そして失敗した結果は落とされた本人が負う羽目になる。戦っていないという時間と作業の余裕も与えないというのでは話にもならない。
3.折られても成長をしなければいけない被害者たち
もちろん、人が戦士として成長する過程においては、挫折をしてしまうこともあるだろう。
しかし、挫折したからと言って強くなるというのは完全に間違いだ。
もしGP01が最初からフルバーニアンだったら、シーマのゲルググは最初から圧倒できていた。最初からちゃんと自信を持っていれば、大抵のケースで、挫折させられたよりもいい結果が出る。
お前より強いやつがいるんだぞなんて情報は、多くのケースで必要ない。
本当の戦士ならば、そんなことはとっくにわかっているからだ。
上がいるからこそ、自分が今まで強くなってきたに決まっているのに、そんな当然の事もわかっていないことにされる。
こんな暴言を吐く相手が、ただの無関係な人間や敵ならば、無視ができるだけまだマシだが、それを師匠や上司が言ってしまうと、相当の失望を向けられることになるし、チームとしてのパフォーマンスも台無しになる。
最初の記事でも述べられているように、「助けてくれた人がすごかっただけで、私の実力ではない」と。折られた者は考えるようになる。
もし師匠や上司が、相手の自信を折り続けるならば、これが本当のことになってしまうんだ。折られた者は、その状況で完全に正しい判断をしていることになる。
自信という武器を取り上げられたまま戦うことを強いられる被害者たち。
そんな状況で結果が残せるのなら、確かにそいつはすごいやつなんだろう。
「這い上がってくるなら本物です」ってバニング大尉も言っていたが、本物だったらそもそも一人で成長できる。